ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

私の性的指向

アセクシュアルを自認するまでの諸々。

 

学齢期の頃はセクシュアルマイノリティの知識なんて良くて性同一性障害くらいしか(それもテレビで多少流れる程度の)持っていなかったので、「思春期に入ると異性に恋愛感情を抱くものである」という価値観で生きてきました。

 

恋愛感情って何なんでしょうね。アセクシュアルでよくある誤解が「恋愛感情を持たないということは冷血な人間だ」ってやつだと思います。ですが、「もっと親しくなりたい」「人として好き」といった感覚は持ち合わせているんですね、少なくとも私は。

「推し」って言うとわかり易いかな。

 

そんな訳で学齢期。「推す」人はいても、その人とデートをしたり”その先”に進んだり…は全く想像できませんでしたし、そこまでの想像はしなかった覚えがあります。(身体的)異性が気になるとしたら、「男の身体よりもこんな身体になりたい/なりたかった」といった点でした。

元より中高時代は学校への適応と部活に全力だったこともありますし、*両親は性的な話題への禁止感情が強かったですし、その辺の環境も影響しているよう思います。

*なのに大学進学以降今に至るまで彼女を作れだの言うんですがね…その辺りはまた追い追い。

 

私→他者の話をしてきましたが、一応他者→私についても触れておく。私自身は他者に恋愛感情を向けられた経験が皆無なので…と書いていて、恋愛感情がわからなきゃそりゃ相手からのそれなんて判らんわwという当たり前のことに改めて気付いたり。容姿も悪くオドオドした方だったので、いわゆるモテとは縁遠いスクールカーストの最底辺に居た人間であることだけは間違いありません。他人の恋愛事情も見ていてわからないし興味も無かったし。

 

…とまぁこんな調子なので、「好きなタイプは?」「気になる子はいるのか?」といった思春期にありがちな質問に答えようとも皆目見当がつかなくてですね…。コンテンツの中の恋愛描写に抵抗は無かったので、「優しい人」だとか「私の為に泣いてくれる人」だとか漫画で見たような”模範解答"をしていました。

暫くはこれで通していましたが、それにも耐えかねて大学進学以降は正直に「わからない」「(今は)いない」と言うようになりました。ただ、こういう返しをすると相手は私を同性愛と(勿論奇異の目とセットで。友人も両親も)疑ってくるんですよね…。私自身も以前は同性愛への偏見があったのでネタにしながらの切り返しもしており、今思えばもしそこに当事者がいたら傷付けてしまっていただろうと振り返ります。大学時代にこうしたやり取りが増えたことは、自分の性的指向について考える大きなきっかけでした。”一人前に”女に恋もできない自分は何なのか、と。

 

異性愛者の可能性から同性愛者、両性愛者の可能性まで色々思い巡らせてきましたが、結論は「やっぱり恋愛・恋愛感情なんてわからんぞ」ということでした。親愛の情については”特別”が無いとも言えるしみんな”特別”とも言えるような。こう思えてからアセクシュアルという言葉に出会うまでは数年かかりましたが、恋愛抜きで良い出会いはたくさんあるし、取り敢えずここに落ち着き中。