ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

大学院時代 性別にまつわる諸々編

生育歴から述べた方がわかりやすいとは思ったが、こちらの方が書き易かったので悪しからず。修士の2年間は行動こそ変化は無かったものの、自身の認識が大きく変化した。性的少数者であるという自認を得た時期。

 

1.自認

 学部時代のゲイ疑惑を機に、インターネットや大学図書館、論文データベース(CiNii)を通じて性的少数者に関する情報収集を行うようになった。これには、いわゆる当事者(と思われる人も含む)との出会いがあったことも大きい。自身の悩みだけでは調べたり向き合ったりしようとは恐らく思えなかった。

 当事者について、新たに知り合った音楽仲間の中にはゲイやバイセクシュアル、トランスジェンダーであることを公にしている方が数名いた。SNSのプロフィール欄にも自身のセクシュアリティを記載していた。こちらが悩みを打ち明けたり相手から相談を受けたりということは無かったが、現実に生きている当事者が意外と近くにいることを知れた。*1また、M1後期より(学内相談室での訓練として)カウンセリングを受け持ったクライエントはジェンダー論を学んでおり、出生時の性別や社会的役割への違和感を表明していた。主訴は本人の人間関係やアイデンティティの悩みであったが、その多くがジェンダー論に関連付けられながら語られ、自身にとっても大いに考えるきっかけとなった。

 

 これら出会いと種々の情報収集から、ついに私は自身が恋愛感情を抱かないこと・性別への違和感を持っていることを認識するに至ったアセクシュアルの方はしっくりきたこともあり用語で名乗ろうと思えたが、性別への違和感の方は典型的ではないことから「本当の方々」に申し訳ないと感じ、用語で名乗ろうとは思えなかった。SNSのプロフィール欄にはぼかしながらも(わかる人にはわかる形で)記載を始めた。「ボールとポールを取ってホールを付けたい」そう、本ブログのタイトルである。

 

 

2.実行したこと

 タック・衣類ともに状況は学部時代と概ね同じだったが、いわゆる女装グッズに手を出したのが一つの変化。股間の膨らみを目立たなくさせる補正下着の着用や、女装の指南本、女声両声類といったボイストレーニングの参考書等を閲覧するようになった。しかし、この頃もやはり男性的過ぎる外見が理由で、いくら自身の身体に違和感があっても女性になれる訳が無いと思っていた。その為、上記のような新たな情報を得るも、メイクやウィッグ、全身レディース衣類といった装いをすることはついぞできなかった。未だ学生の身分ということもあり収入も乏しく、まとまったお金がかかる脱毛は経済的に不可能だった。アルバイト代は勉強用の書籍や音楽活動に消えていった。

 

 尚、体格についてはM1の夏に自転車を購入してから目に見えてシェイプアップし、学部時代より更に5kg程の減量に成功。上半身は元の骨格のせいで大して変わらなかったが、少なくとも下半身については「細い」と判断されるレベルになった。しかし実母は私が痩せていくことを良くは思っていなかった。『そんな痩せて!』『ガリガリじゃない!』『ぽっちゃりしていた時の方がいい』等と頻りに口にするようになった。太っていた頃の嫌な記憶が染みついていた私は、それに従うことはせず"健康的"な生活を続けた。

 

 

自認こそすれ移行には未だ至れず。性別以外の面でも色々と認識の変化があったので、それは早いところ整理する。

*1:事例は本人特定を避ける為に筆者により一部改変