ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

大学院時代 生育歴編

気付きは得たが、苦しい2年間。辞めなかったのは吉か凶か(個人的には凶)。明日までのやつなので書き溜めご容赦。

 

 自校の大学院に進学。研究というよりは専門職養成課程で(専門職大学院ではなかった)、学内外での実習も始まった。修士2年間は優秀な同期や先輩に囲まれ、そのセンスや能力の差を痛い程思い知らされた。何かに気付いたり疑問を持ったりすることが余りにもできない。頭の中にアクセス制限がかかっているような感覚。レポートやリアクションペーパーを提出する際も、心から感じた言葉で文章を紡げない(感じないから何を書こうか浮かばないのだ)ので、これら課題において私が書いた着眼点や話題の広げ方は随分と不自然だったように記憶している。当時は今よりやけに眠気も強かったし、諸々の状況を考えると、受診したら何かしら病名が付いたような気がしてならない。

こんな訳なので、「このまま臨床をやっていくのは難しいかも知れない。別の道を考えた方が良いのでは」と実は薄々思っていた。しかし、家族(特に実母)の強い期待は別の選択肢を認めていないように私には感じられ、学費を負担してくれていることの負い目もあり後に引けなくなっていた。心の底から心理学で身を立てたいとまでは思えていなかったのも、高校~学部時代と変わらず。落ちこぼれの学生ではあったが結局2年間の課程を修了。就職は、この業界のご多聞に漏れず初年度は非常勤の掛け持ち。某学校の相談室と某デイケアでの業務に従事することとなった。

 

原家族については、私への期待・干渉・カウンセラー的役割の要求が学部時代以上に激化。私は「常に正しい親と、その通りにできないおかしい子」であったが、そんな私の世界の認識構造にM1終盤頃から変化が起こった。先の記事でも書いたカウンセリング訓練の中で家族関係の悩みが語られたこと、それを機に種々文献を調べる中で下記の本に出会えたことから、親の加害というものの存在を知る。その後は、始めたばかりのtwitter(別アカウント)でACクラスタのユーザや関連する論客を次々とフォローし、私以外にも似たような苦しみを抱えている方々がそこにはいた。「親にされたことを嫌だと思って良い」「家庭内で普通と思っていたことでも、実は結構おかしい場合がある」といった価値観は、私にとっては世界がひっくり返る程の衝撃だった。

毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)

毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)

 

  こうした出会いと変化により、私には少しずつ親元を離れたい気持ちが出てきた(なんとなく「働きだしたらいつかは一人暮らしをするもの」と常識的に思っていたが)。しかし、会話の中で私がいつか一人暮らししたい旨を匂わせると、母は『何百万もかかるから無理だよそんなすぐには』『うちに居な!』と頭ごなしに否定するばかり。私の目には、まるで宗教における異端者を糾弾するような態度に映った。新たな価値観を得たとはいうものの原家族の期待に応えられない罪悪感はすぐには拭えず、実家を出るのは修了から2年先となった。

 

 尚、趣味の音楽活動は学部卒業後も継続。M1の秋より地元の吹奏楽団に加入。家から近い以外に全く縁も無くメンバーも年上ばかり。模索しながらの関わりであったが、広報係のチームを中心に温かく迎え入れてくださった。2018年末を以て休団。また、インターネットを通じて奏者を集める演奏企画(TRPの『みんなでブラス!』がより大規模で長期スパンになった感じ)にも同時期より参加し始めた。こちらもまた縁の無い人々と初めて関わることになったが、主に価値観の面で非常に恵まれた関係を形成でき、付き合いは現在も続いている(以下の記事を参照)。

julia88h.hatenablog.com

 当時の人間関係の広げ方は陰キャとは思えない。でもそのおかげで今救われているところがあるので、これだけは自分を褒めても良いかも知れない。直接の人生の転機はもう少し先でも、きっかけはこの頃にできていたように思う。