ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

第39回 Allyについて考える

昨夜は新年初となるQueer&Allyのイベントでした。いつもの金曜日ではなく水曜日。数あるイベントの中でも、初めて「職セク」以外のものに参加しました。

 

「Allyについて考える」というテーマトークの会。テーマが「カミングアウト」と私にとって差し迫ったものだと思えたので、都合をつけて水曜日の池袋へ。カミングアウトといってもざっくりな括りではなく、切り口としてこんな話のタネが示されております。

①カミングアウトする理由、(あえて)しない理由
②カミングアウトしやすい人ってどんな人?
しかも『セクシュアリティのこと以外にも』ときた。どうしてもここに参加するということでセクシュアリティに偏りがちではありましたが、代表のおっしゃったこの視点は大切な点だと思います。
というのも、私見ですがカミングアウトは「各々が何かしら抱えているもの」 を開示することであって。自己開示は*1自分自身をあらわにする行為』。でも、それを躊躇うということは社会的な意味付けがされていると思われます。私としては、カミングアウトするような事柄はいわゆる「フツー」から外れている場合が多く、それ故に未だ多様性という言葉が浸透しきれていない現代において開示を躊躇わせているのではないかな…と。こういう風に見ていくと、セクシュアリティに限らずカミングアウトというものを捉えていけるような気がします。ま、どうしても自分自身の当事者性に囚われてしまってそう簡単にはいかないのですが。
 
顔ぶれも「職セク」とはだいぶ異なり最初は緊張したものの、いざ話し出すと途切れないったらもう。こうした場では「皆が違う」ことが当たり前の前提として共有されているので、私含め初対面であってもある程度深い事柄を話せたのでしょう。上記②の下地とでも言いましょうか。②の逆で一面的な見方をしたり時にそれを押し付けてきたりする人は、やっぱりカミングアウトしたくないしそれ以外の関わりも最低限にしたいと私は思います。自分自身の価値観だって偏狭ではありましょうが、ことジェンダーセクシュアリティに関してはいわゆる"非当事者"より一日の長があると言わせて下さいな。
 
水曜日だから控えようと思っていた閉会後の食事会も結局参加。その代償に睡眠不足なので、残す1日の為にも今日は早めに寝なければと思う次第。

*1:Jourard,S.M., 岡堂哲雄 訳(1974), 透明なる自己