ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

性的マイノリティの界隈に身を置いているとよく『ありのまま』『自分に正直に』といった言葉を目・耳にしますが、そんなにうまくいかないというのが実感。当の私は移行もままならない中、日々を嘘で塗り固めていると感じています。

 

いやまぁ、移行前から息をするように嘘をつく人間ではあったのですが。自分に深く踏み込まれそうだと感じた時には、ほぼ必ず誤魔化したり真偽を織り交ぜたり。家庭環境とか趣味とかお酒の強さとか。ハラスメントを未然に防ぐ為には秘密主義で隙を見せないようにする必要があったとも言えるか。そこまでして守りたい自分も無いような薄っぺらだった気もするけれど。触れられたら死ぬなんて豆腐の方がまだマシだ。

移行を決意して以降も、B面が嘘に思えて申し訳無くなる時がある。一方で、色々なことを隠し誤魔化しやり過ごしつつも心が破綻するには至っていない現状もあって。生活の中心がB面であるならば、何を望もうと今が真実ではないかとも感じる。本当は真実なのに嘘だと思い込もうとする、というのもまた自分へついている嘘なのではないだろうか。

原家族には、前よりも多く嘘をつくようになった。秘密を許さず何もかもを暴こうとする人間に対しては、正当防衛だと自分に言い聞かせている。他愛の無い日常会話ほど真実を話せるが、健康状態や将来、恋愛、家督等々の深い水準の話になると、準備してきた想定問答を裏で走らせながら、ほぼ全てを嘘でやり過ごす。こんな状態で「闘える」日が来るのかと疑うが、ダメージを最小限に止める為の準備だと考えることにしている。

 

今日が本ブログ800日・800記事目ということで、800にちなんで「嘘」について思うことをただ垂れ流す記事でした。ついた嘘の数など覚えてはいない。それでも、ほんとうを話しても責められない世界ができれば、少しは楽になるのだろうかとの思いは捨て切れずいる。

ブログのカウントでちょうど800文字。