ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

もつべきは―――『娘』ですょ

いきなりスクショ晒しで申し訳無い。本日は端午の節句。実母のInstagramにて節句らしさのあるスイーツを作ったとの投稿。それに対してフォロワーと思しき人が『今、娘が同じのを作っています』『たまには娘に頑張ってもらわないと』と返信。それに対する実母の返信がタイトルの文です。

 

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まぁ、この人には「なら、ワシが娘になるのは願ったり叶ったりじゃないんか?」と言っても通用しないでしょう。わかり合えないという諦念が先行します。秘密を、隠し事を蛇蝎の如く嫌う実母。しかし、私の抱える最も大きな爆弾は実母の"正解"ではない。それがわかっているので、一瞬の期待が無かったと言えば嘘になりますが、この言葉は虚しい響きしかしませんでした。

便りが無いのは良い便り」。私が好きな言葉……というより原家族への反発故に縋らざるを得なかった言葉です。齢32の息子に対してそう思えず『*1絶望の崖っぷち』と述べてしまう辺り相容れないし、自分の感覚が正しいという信念が補強されます。だからこそ逃げたいのだ、という。

 

子離れをしろ。私の人生を生きさせてくれ。お抱えカウンセラー、或いはトイレにするな。トランスかはともかく私がAロマンティックである時点で、この思いは抱いていたことでしょう。

最近の投稿を見ていると、ようやく「自分達夫婦の暮らし」をしていると思ったんだけどなぁ。結局これか。連休に入った時のメールをスルーしたのがまずいのかも知れない。取り敢えず"火消し"の為にちょっとしたものを送っておこうか。そのガラケーもじきに解約するがね。

 

このスクショは有事の際の交渉材料にはなりそうだけれど、両親があの世に行くまでは波風を立てないのが吉。私がそう思っていても、向こうは追ってくる。それさえ無ければ。

*1:実母は初老だが実父はもうすぐ後期高齢者。流石に初老夫婦は無理があろうよ。