ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

推し過ぎ

最近、世間がやたらと母の日を推してきている気がしてなりません。

『5月(第2日曜)日は母の日ですよ!』『お母さんいつもありがとう!』『おうちでママと一緒!』『感謝を送ろう(カーネーションの山)!』といったメッセージがそこかしこに溢れる。私はどうにもその裏に『母親に感謝できないなんて人非人』『ありがとうと言え!』『子供は自然と母親に感謝の気持ちが芽生えるものだ!当然だろう!』といった確かな圧力を感じざるを得ません。NHK、ひいてはお上の大好きそうな"家族の絆"。それを当たり前に疑問を持てず享受できるのは、とても幸運なことなんですよ。

 

幸い今日は実母のメールもinstagramの更新も無かったので、必要以上の心の消耗は無く過ごせました。ダメージがゼロなわけではありませんがね。これで私が何も連絡をよこさなかったからって、明日になってそれを責めるメールなど来ようものならちょっと本気で愛想が尽きるかと。

過干渉、親の思う"正解"の生き方しか認めない、秘密を嫌う、"普通"でないのはおかしい、LGBTは"大問題"……。今まで散々削られてきた結果として逃げたがってはいるものの、5chでも叩かれたように共依存の側面も私は確実に孕んでいる。あれこれ言われながらも「譲らなかった」ことが無かったのが何よりの証左です。今回の転居を機に、原家族との繋がりであるガラケーも解約の予定。向こうが追って来るのなら、少しずつ私の方から断ち切っていかねばならない……というのは、原家族の手を一切借りずに引っ越せたからこそ思います。

 

まぁ、ガラケーの解約に違約金がかからない期間が7月なのでそこまでは残しておくつもりなのですが、こういう所が本気じゃないってまた叩かれる要因になるんですよねきっと。