ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

片袖の魚

観に行ってきましたよ、映画「片袖の魚」。トランスジェンダー当事者が主演ということを制作当初から押し出しており、当事者に絞ったオーディションや主演・イシヅカユウ氏の女性用スペース利用に関する問題など良くも悪くも公開前から話題の尽きない作品。前半日程はチケットが瞬殺で、本日ようやく予定が確保できた次第。

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【以下ネタバレ注意】

 

主人公は熱帯魚を取り扱う会社に勤務するトランスジェンダー当事者。声は女性のそれだがエラや頬に名残を持つ"彼女"を女性として扱い、また同僚が当たり前のように車椅子を使っているなど"ワケアリ"の人も広く受け入れている偏見の無い会社のようです。職場には女性が多く規模も小さいことや、また本人のパス度からも、他の社員の同意を取り付け易かったことが窺えます。

そんな主人公ですが、仕事をしている中で何度か「リード」される場面があります。

『2階にだれでもトイレがありますので』

『もしかして男性?やっぱり!手が大きいからそうかなと思って』

そうしたシーンに同期する泡の音。顔を水につけるようなその音は水中にいるような息苦しさを表すと同時に「聞きたくない」と聴覚を遮断したい意味合いもあって重ねられたのではなかろうか。『でも、心は女性です』と気丈に言い返しはするも、内にある本人の苦悩がシンプルな演出を通してありありと感じられます。同時に、我々MtFトランスジェンダー当事者としては日常の追体験でもある。一つ一つは短い場面ながら、リアリティが物凄かったです。

ただ、入れる魚のオススメでカクレクマノミを挙げてその生態を喋ってしまったのは自爆かなという気もしますが……。まぁ、知らない視聴者に向けてクマノミの説明をしないと、何故この魚が作品を通してずっと立ち現れ且つ本人が固執するのかがわからないのでやむを得ないといった所でしょうか。

 

見積の仕事で久々に地元に顔を出すことが決まると、なんと当時所属していたサッカー部の同期達との同窓会にも出席することに。旧友(そして恐らく思いを寄せていた相手)から電話がかかってきた時、咄嗟に声色を男性のそれに変えるシーンもまたリアルで、私としても身に覚えのあるものでした。昔の自身を知る相手、且つこちらの事情をはっきり伝えていないとなると、声を変えて生活していてもどうしても「変に思われないように」と低い声で話してしまう気持ちは共感できますね。私の場合は実家に電話する時がそれ。で、電話が終わったら終わったで「*1低い声を出そうと思えば出せてしまう」ことに自己嫌悪してしまう。

私は昔を知る相手との繋がりがかなり限られている身ではありますが、もっと交友関係が広かったらより気にするシチュエーションは増えていたろうなと想像します。

 

また、同窓会のことを新宿のバーに勤務する友人(演: 広畑りか)に相談するシーンで主人公が口に出した言葉。これも我が身に刺さるものでした。

『まだ完璧じゃない』

パス度とか身体の治療状況とか所作とか、ひいては生まれ持った臓器や身体機能に至るまで、色々な面で自分を『完璧』に女性と言い切れない。その絶望も孕んだネガティブ渦巻く心情。それがこの一言に表されていたと思います。

でも、仕事を終えてからは女性として着飾って同窓会に出向くんですよね。そこが主人公の持つ強さかと。いざという場面で「自分がそうしたい」ことに一歩踏み出せる。同窓会での『知らなかったらイケる』等といった悪意の無いイジりに耐え抜き、ずっと旧名で呼ぶ想い人に対して別れ際に*2今の名を告げ、彼が学生時代から取っておいたサッカーボールを譲られるも投げつけて"返却"する。最終的には地元への想いを振り切って、それがエンディングでのあの表情に繋がってくるのでしょうが、「よくできるなぁ……」というのが正直な感想です。

私だったら、服装はスーツのままか無難にパーカー・Tシャツ・デニムとかにして、髪は後ろで一つに括って声も低いままと、一貫して男として振る舞うと思います。現に私は対実家の際には髪をジェルでオールバックにする等の対策を施しています。ただ、作中では性別移行が『噂になって』いたようなので変に男装をするもの心証が悪かったのかも知れませんが。

 

総じて作中で描かれるMtFとしての「あるある」はとてもリアルなもので、これが1時間以上の作品だったら息苦しくて耐えられていたか自信はありません。女性ホルモンに錠剤だけでなく貼り薬も併用しているとか、上辺をなぞっただけでは決してできない描写ですしね。劇伴のストリングスがヴィオラというのもまた良いチョイス。C線の最低音がちょうど女性の声だと下限に当たる音域で、そこまで計算されていたのか……と。

親近感を覚える描写がある一方で、主人公と私とでは「自分にとって大事ないざという場面で一歩踏み出せるか否か」が対照的に感じられました。それ以前にフルタイムか否かも大きな違いではありますが、やはりこうした胆力の強さがないと性別移行を自分の望む所まで成し遂げるのは難しいということでもあるのでしょう。

 

いずれにせよ、「知る」という意味では今非常に適した作品の一つだと言えると私は思います。短い時間の中に非言語的な描写を中心に当事者のリアルな息苦しさが詰め込まれた本作は、是非トランスジェンダーを知らないという人にこそ観て頂きたいです。

 

冊子も後で読みます。
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*1:女性ホルモン治療では一度低くなった声を高く戻すことはできないので、元の声質+トレーニング頼みになる。

*2:結局最後の挨拶でも彼が新しい名前を呼ぶことはありませんでしたね。