ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

今の内に触っとく

いよいよX-day前日。本当は去年に受けるつもりだったけれども日程の都合で叶わなかった"例のアレ"。やろうやろうと狙いは定めていたけれど、来てしまうとあっという間。事前カウンセリングが1ヶ月半前でしたか。

 

「遠足前の小学生」よろしくソワソワしているかと思いきやその逆。自分でも驚いていますが、今はとても冷静なのです。本当に明日なのかと。実感が薄いという方が正確かな。無理言って仕事も休みを取らせてもらったけれど、病院に行かず出勤しているのではないかとさえ思う。もっと高揚するかと予想していました。楽器が買える額を払ったのにね。

……もしかすると、単に怖いだけなのかも知れない。身体の一部を切られることや麻酔を投与されることは、今まで何度もあった。それでも、今度に関しては"決定的"だ。嫌悪してきた身体の一部であり、嫌悪する物質の製造工場。そこから解放される。物理的にもカサが減る。それだけで私としては大いに価値があります。しかし、ホメオスタシスを自力で維持できなくなるという事実もまたあって。もし自分が悪性高熱症だったら、とかもね。これでも一応は健康第一を心掛けて生きてきた身。平時は通院のルーティーンを守れても、有事のことを考えると不安/Zeroとは言えません。この不安を上回るメリットは確実にあるのだけれど、ね。

 

今日も職場で何度か耳に/目にした『女性陣』という言葉。弊社では当たり前のように誰もが使う言葉。でも私はこれを聞く/見る度に、「自分がそちら側ではない」ことへの強烈な溝を……分断を感じてしまう。社会的な割り当てについてこう思うのは私にしては珍しいけれど、やっぱりその根底には身体があって。毎日嫌でも目にするソレ、きついボトムスだと歩いたり座ったりする度に感触のあるソレ。いちいち「うぇっ」て異物感を覚えながら生活するのってやっぱりきついんですよ。自分を麻痺させようと努めていても。

こんなことを常日頃思いながら、無邪気に放たれた『女性陣』という言葉。そこに括られることの無い自分への絶望を深める言葉。それを頭の中で反芻させていると、「自分はこちら側ではいたくない」という思いが強くなってきます。一種の決意表明でもある……のかな。退路を断つ行為だ。あれこれ考えるよりも、天に任せて祈っていた方が良いのかも知れません。無事に終えられますように。

 

あ、結局さくらんぼ🍒食べなかったな……。取り敢えず触ってもみたけど、少しは萎縮したくせにまだ物理的なカサはありやがる。プルンとなるのも嫌なもんで。AGAを起こさないでおいてくれたことだけは感謝しておこう。