ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

トランスジェンダー排除にどう対応するか 〜大学、メディア、当事者・支援者の視点から考える〜

LGBT法連合会の主催で昨夜オンラインにて行われたこちらのシンポジウム。どんなものかと興味深く拝聴していました。無料って本当にいいんですか!?と思ったものの、現状に危機感を抱いているのは左右どちらのサイドも同じってことですかね。費用が理由で聴かなくなってしまう人を出したくないのでしょう。

lgbtetc.jp

 

総じての印象なのですが、どうも「頭の良い方々がリベラル、ハイクラスな人々だけで構成された集団におけるトランスジェンダー論を語っている」ように思えてしまいました。良く言えば先端の知が結集したパネルトーク、悪く言えばキラキラし過ぎて現実を拾いきれていない。理念自体には共感できますが。

こう思うのは、私自身がそうであることも含めてSNSにおける我々の"掃き溜め"を見てきたこと、また「非常に男性的な外貌の当事者」であることが理由です。第1・2部共に、「いかにも男性的なMtF」なる存在を想定して不安を語るのは現実に即していない……と述べる登壇者がおりましたが、私はまさしくそのような存在です。『筋肉ムキムキでミニスカート』ではないにしても、その規格外の体躯で以て多くの女性に恐怖を与えてきました。何故現実に存在する人間をそうでないと一蹴するのか、と憤りさえ覚えます。登壇者の方々は、下手をするとトランス女性の容姿を「誰もが埋没可能」だなんてイメージしてはいないか。それこそ現実が見えていないのではないでしょうか。現実を見ようとしていない可能性もままありますが。「私達が女性と見なせる人だけをトランス女性と見なす」のであれば、非常に男性的な容姿のトランス"女性"は存在しないことになりますから、筋は通るのかも知れません。

性別移行の状況は個々の当事者によって様々です。私ほどではないにしても、容姿が男性的か女性的かは白黒では捉えられません。「学者様」や「メディア様」が良かれと思って話していたことが知らず知らずの内に当事者内での分断を煽る結果になる可能性にも、是非目を向けて頂きたいものです。

 

また、特に第2部において『知識不足で偏ったイメージを持っている人』がおり、そうした人が『どこかで見たふわっとした意見に踊らされて、それが独り歩きしてしまう』というSNSでの現状も述べられておりました。『知識が不十分なのに、さも知っているかのようにトランスについて言及する投稿が多い』『当事者の困りごとが報道されていない』とも。

無知故の排除言説という側面は確かにあると思います。しかし、「知ったからこそ懸念を訴える」という側面もあるのではないでしょうか。トランスジェンダーに関する知識も実感も十二分に持ったトランス当事者だからこその"批判的"な言及は確かに存在し、同意できるものも数あります。当事者のリアル(或いは、SNS上に表現されたものはそのリアルの一端に過ぎないかも知れませんが)を目の当たりにしたことで、より警戒心を強めた"市井の女性"や同じ当事者もいます。"掃き溜め"の内部の立場からしても、警戒される振る舞いをしてきた身としても、無理からぬことだと感じてしまうのが正直なところ。トランスジェンダーに対する不安を覚えている立場の意見も併せて耳を傾ける必要があると考えます。

 

どこか不十分な感覚を持ったまま迎えた第3部でしたが、『誰の為の性別二元論なのかを立ち止まって考えてほしい』という言葉には非常にエンパワーされました。私の嫌いな価値観筆頭の性別二元論。まるで血液のようにこの社会の端から端まで通っている価値観ではあるものの、そこに必然性はあるのか?これによって踏みつけている人はいないか?ということは頭の片隅に入れておいてほしいと私も強く思います。性別二元論に日々削られている一人として。

ただ一方で、閉会の辞において法連合会の原ミナ汰理事が批判していた*1本質主義essentialismの考えについては、私は身体違和を抱えるいち当事者の立場として支持できてしまうのです。どれだけ身体にメスや薬を入れようとも、また強く願おうとも、私は男です。女性にはなれません。仮にSRSができたとして、まかり間違って戸籍の変更を行ったとして、生まれが男性である事実は変わりません。それでもなお男の身体に留まろうとは思えず現在進行形で身体を弄り続けているわけですが、私の中では出生時の性別は大前提なのです。少しでもパス度があれば違ったのかも知れませんね。

 

不完全燃焼な所も多いとは言え、聴けて良かったとは思っています。仕方ないけれど、尺が短すぎましたね。それぞれの部で2時間ずつ取って終日通して行っても良いくらいの内容。考える材料としても良質でエンパワーされる言葉もあった。しかし、登壇者らのスタンスの表明以上のことはしきれなかったようにも思えます。異なる思想との議論には至らなかったな、と。それはそれで別途機会が必要にて。時間を、時間をくれ!今後、今回のシンポジウムを更に発展させた形での意見交換や連帯ができることを期待しております。……まぁ、質疑においてカウンターとしての視聴者が出ることくらいは予想しておいてほしかったですがね。

 

※最後に紹介された「青年法律家協会弁護士学者合同部会(青法協)」の声明は以下より。

http://www.seihokyo.jp/seimei/2022/20220304-4jonin1.html

*1:この文脈では『身体的特性がその人の全存在と見なす考え方』と定義され述べられていた。それが『歴史的にも様々な差別の口実として用いられている』とも。