ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

枠にはめる

土曜日は色々あったのに今日(月曜日)の話。時系列が前後してすみませんが、気持ちがホットな内に書いておきたいので。

 

今まで5年以上使ってきたスラックスが遂に擦り切れてしまったので、年度後半の開始を機に新調したのがウィメンズのスラックス。これが手持ちのどのメンズスラックスよりもピッタリフィットしたんです。多少なりとも治療の良い影響があったのでしょうか、嬉しいものです。

しかしその一方、クールビズが終了したことで、男性職員の服装はネクタイとジャケット。朝礼で全職員が一堂に会した時、*1自身が男性側に分かたれていることが強烈に可視化されました。偉い人が話している時の、あの身の置き所の無さといったら。嫌なゾワゾワでしたよ。なんというか「枠にはめ込まれていて抜け出せない」感覚とでも言うのでしょうか。

 

私から周りを見るに、枠の中にはまっているのはだいたい同じ形の規格品。「だいたい」だから多少のズレはあっても、まぁ不自由を感じていない。或いはその不自由が心の均衡や人生設計、生き死にに直結まではしない。そう映ることが多いです。

かわいそうアピールに見えても仕方ないと思いまつつ、一方のこちら側。枠内に一応入りはするけれども、少しずつ"合わない"箇所を捏ねて削って押し込んで「最初からピッタリだったことにしている」ような感覚があります。元々あった形を弄っているから、ふとした時に痛みが出る。枠を壊したり抜け出したりしようにも、身動きが取れない枠の中ではそれも容易ではない。

 

……こうした感覚は自分一人でいる時よりも、やっぱり周囲に人がいて二分されている状況下で際立ちます。ネクタイとジャケット再開という節目にあって、改めて突きつけられました。スラックスのことで気分が上がった所から落とされた、みたいな。「規格品でいようと思えばいられるんだから、それを貫けばいい。歪だと周りに見なされる方が辛いぞ」とわかっているくせに、こういう時に心がざわめくのは本当に何なのだろう。それを鎮める為にこの色のネクタイなんじゃないか。「せめて」って。そうだ、これでいい。
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*1:男女で服装が違う時点でクールビズ期も分かれてはいましたが、ネクタイとジャケットは記号としての強さがあると感じます。