ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

不可視の抵抗

バレンタインデーだからこそ、ノンバイナリカラーのネクタイを締めて仕事をしてきました。弊社には幸いにもチョコ贈答の風習は無いけれど、*1ロマンティックラブイデオロギーと男女二元論へのささやかな抵抗ということで。

もし風習があったとして、貰えるから良いじゃんとかそういう話ではないです。この日(もしくはその前後)にチョコレートやそれに類するものを渡される。それ即ち相手から男性として遇されているにつき、実にイカン。ぎえっ。明確に「男性」を向けられると、どんな些細なことでもそれなりには引きずります。つい先日とある知人から日頃の礼としてありがたくも頂戴したギフトも、時期やそれがチョコレート菓子であったことから、程度はどうあれ私に「男性」を見ているのだろうなと感じてしまう始末。そのせいで、次にどう顔を合わせたら良いものかと悩みっぱなしです。当該知人は他にも配って回っていたし、パートナーの有無は知らんけど。

 

考えて沈んでいく気持ちは、コンビニスイーツの中では高めのチョコレートケースでも食べて上げ……られるだろうか。自分の内心では今日という日に抵抗していても、具体的な行動を起こせず終わってしまうのだから悔しいな。相対する先が大き過ぎて正し過ぎるのよね。なら長い物には巻かれておこうという考えに至りたくもなるものですって。

*1:個人的には規範というか"正しさ"の圧を感じるので、amatonormativityと書いた方がしっくりくる。