ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

除睾哀史・残照編 #9 術後3年

今日はジェンダー外来での血液検査の日でしたが、奇しくも睾丸摘出からちょうど3年の日でもあり。もう3年、まだ3年、やっと3年。何気なく過ぎていくのかと思っていたら受診だったこともあって、ちょっとだけ考えを巡らせてしまいました。

 

ホルモン投与に伴う体調変化の波は、術前よりも確実に大きくなりました。年々大きく……とまでは行っていないものの、当日の眠気や翌日の頭痛、そして8~9日後からの更年期様症状とどう付き合っていくかが日々の懸念事項になったと思います。取り敢えず現時点では苓桂朮甘湯を軸にしながら、「命の母」や*1カルシウムサプリ等も併用しつつデバフを抑えようと試みているところです。この波、俗に言う「ホル酔い」がまぁ結構なもので、予定に穴を空けるまではせずとも日中の活動をこなす際にしんどい時も増えました。副作用が強い時は手術を受けた選択を辛く思わないこともないのですが、自分の身体の変化を思うと「やっぱり受けないよりは良かった」と感じます。

脚の間に物理的に存在している感覚や、テストステロンの分泌による全身の望まぬ変化。これらを食い止められたことにより、自分の精神的な波は(当時書いたかもしれませんが)凪に転じたと思っています。摘出した状態で日々を過ごして少しずつ実感として積み重なってくる「術前は意外と辛かったのかもな」或いは「無い状態が普通(もとい日常)になってきたぞ」という感覚。これがあるなら、私はまだ(広義の)当事者として生活し思索することを許されるでしょうかね。治療開始当初と比べてだいぶ"逆埋没"的な方向性を辿ってはいるけれども、それに関しては「男成分を削ぐ」のがイコール「女成分に寄っていく」とは限らないということでひとつ。

 

もしかしたらこれから何年も経つと、摘出という選択は後悔に転じるかもしれません。或いはしないかもしれません。それはこの状態で歳を重ねていく未来の私にしかわからないこと。積極的に「女成分に寄ってい」かないが故にカミングアウトが差し迫った問題になってはいない現状ではありますが、これを治療の停滞だとはあまり考えたくはなくて。歳を重ねる中で社会情勢や健康事情や実家周りなどが今まで以上に大きくうねっていくと予想される現状においては、「低め安定」とも言えるのではないでしょうか。束の間?の平穏な日常は、なるべく崩れないでいてほしいものです。

*1:性ホルモン値の低下による骨粗鬆症予防の為に服用。もちろん毎朝のヨーグルトと牛乳は欠かさない。