ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

お風呂との付き合い方

入浴自体はそこそこ好きです。最早期記憶がそれなくらいには。幼少期こそ烏の行水でしたが、ヘアケアに本腰を入れるようにしてからは次第に入浴時間が長くなり、今は自宅のシャワー🚿ですら30分超え。スーパー銭湯だと軽く1時間は入っていられます。さて、こんなことを書くと「この前の旅行もそうだけどアンタなんで公衆浴場に入れるんだ」とのご批判が飛んできそうなので、私にとっての公衆浴場♨️との付き合い方を少し語ってみようと思います。

 

私が公衆浴場を使う目的は「そこにしか無い設備を使った方が自身の健康増進を図れるから」です。元々の癖や普段のデスクワークからどうしても首・肩・背中が凝りがちな私。サウナでの発汗やジェットバスでの凝りほぐしを最低でも月に一度はやらないと身体がバキバキで日時生活に支障が出てきてしまって…。入ればとてもさっぱりしますし、ある程度は楽になって気持ちいいです。

 

ただしそこは性違和持ち。いつでもどこでも入れる訳ではありません。”アリアリ”なので入るのは出生時=身体の性別の方。入館時に受け取るのは「青い鍵」ってやつです。自分の身体(主に局部)を見るのはもちろん嫌ですが、他人に身体を見られたり他人のそれが目に入ったりしてしまうのもとても嫌。「こんな醜いものを私は持ってしまっているのか」と拒否感と自己嫌悪に同時に苛まれるので…。

だから行くのは必ず平日の夜間。人が少ない時間帯を狙っています。月曜日とか空いているので結構良いですよ。館内設備を利用する時は着てきた服でいいですし(館内着のデザインが男女できっちり分けられているの解せぬ)。まぁ、先日の旅行で2日連続発生した”お風呂事件”はこちらでは一度しか起こっていないのでビクビクする必要も無く(パスしていない訳なので残念は残念ですが)。

 

そうまでして公衆浴場に入らなければならないのかと言うと、普段の姿勢の見直し(これが一番大変)や別の場所(今月初めて整体に行ったけれど遠い)で解消できることであればわざわざ行かなくてもいいとは思います。”アリアリ”を衆目に晒すことも無くなる訳ですし。それでも我慢すれば入れてしまうあたりX要素はあるというか、男社会で我慢をして入ってきてしまった弊害というか。

 

これはあくまで私個人の話ですので、全てのトランスジェンダーが必ずしもこうとは限らない点はご留意願います。多数派こそ「利用したくない!」という方々でしょうが、人のことは気にせず入れる方もおられるかも知れません。

入らなくても構わないけれど、やっぱりリラックスする場所と時間は欲しいですよ。

私とお酒

もうお酒を断ってから半年以上経ちました。今は飲み会でもソフトドリンクだけで、一滴も飲んでいません。

 

元々お酒はとても弱くて、居酒屋のカクテル🍹を1杯飲んだ程度ですぐ眠くなってしまいます💤。テンションは元が低いので変わりません。眠くなるので寧ろ低くなります。

弱いですがお酒が嫌いな訳ではないので、ウイスキー🥃のロックみたいに強いものをちびちびと飲むスタイルが好きでした。苦手なものもそんなに無いですが、挙げるとしたら日本の発泡酒かなぁ。悪酔いする…。

 

お酒をやめようと思ったのは、やっぱりフライングホルモンの影響が大きいですね。ただでさえ肝臓に負担を掛けている訳ですし、始めてから体感で明らかに(元々弱いのに)弱くなったのを感じたので。それもあって、出先での飲酒をやめて断酒直前まで宅飲みだけに切り替えていましたし。

実際、健康診断で肝機能の悪化(と言っても大幅な逸脱ではありませんが)を指摘もされましたし、当分は飲むことも無いと思われます。

演奏会の打ち上げとかでは飲まない人は何人もいるし別にいいんです。実家に寄る度に酒好きの両親からお酒を勧められるのが鬱陶しい…控えているとだけ言ったとしても「どこか悪いのか医者には行っているのか検査結果があったら見せろ実家に戻った方がいいんじゃないか」と立て続けに返ってくるのは火を見るよりも明らか…。

 

仕事関係の場ではアルハラ回避の口実で「飲めない」と言っていたのが、本当に飲めなくなっちゃうんだものなぁ。そこを曲げるつもりは無いけれど、飲酒の可否はジェンクリで一応相談してみようかしら。今週には血液検査の結果も出るので。弱いけど嫌いではないし。

それより宿題…

多目的トイレ

に外出時は専ら入っているのですが、外出した時に一つ発見したことがあります。🚻

 

昨日のお昼は都内の埋め立て地にある某逆三角▽▽で行われた展示会へ。その時使った路線では、駅の多目的トイレがなんと男女別に分かれていたのです。そして展示会の会場も同じく男女それぞれの入口に多目的トイレが。この路線と会場は何度も使っていますが、滞在時間中にトイレに行かないようコンディション調整をしていたことがほとんどだったので、改めて見て驚きました。そして、どんな意義があるのだろうかと考えてしまいました。

※ひとまず昨日思ったことを述べるので、既に先行研究があり検証済みで当方が的外れな意見だったらご容赦ください。

 

性別に拠らないハンデを抱えた人達にとっては、そこまで大きな恩恵は無さそうに感じます。1つしか無ければずっとそこで待つ必要があるけれど2つあって使用中なのが異性側であればすぐ入れるくらいでしょうか。

デメリットとして介助が必要な方の場合、本人と介助者が異性であったら入りにくさを感じることと思われます。

 

トランスジェンダーの場合、多目的や共用のようにトイレが男女別でないことに意義を見出している方が多いと推察します。(通常のトイレ比で)使い易いと思われる多目的トイレにも男女の枠を持って来られると、私個人は裏切られたような感覚を覚えます。昨日はやむなく身体の性別の方の多目的トイレを1回使いましたけどね…社会的な死は選ばないさ…

多目的トイレを男女別にするくらいなら、男女それぞれのトイレに広い個室を設ければいい気がしますが(実際そういう所もありますしね)、どうなんでしょう。

 

当該路線と施設に限らず、共用トイレの有無って割とそこを利用する/しないの選択に関わってくるので(私は)、そもそも設置していない所は設置を進めて欲しいし(弊社とかな!)、多目的トイレを男女別に分ける意義についても余裕があれば調べてみたいですね。昨日はどれだけ鉄道会社に問い合わせようと思ったか…。

揺らぎ 〜 性自認

1週間ほど前から揺らいでいます、性自認

 

「言葉を得て」以降今までMtX・アセクシュアルを自認していますが、他の人の話を聴いたり自身がジェンクリへの通院を始めたりしたことで、私が目指すものと言葉とのズレを感じてきました。特に「Xを名乗ること」について(アセクシュアルに関してもあるにはありますが日を改めて)。

以前の記事で性違和について整理した時には過去と現在の話が中心になってしまいましたが、目指す所である未来の視点で改めて考えてみたいと思います。

 

◾︎自分の身体が男性であること

男性器が付いていることは(いくら小さいとは言え)明確に不快。お風呂やトイレだけでなく、衣服の擦れですら意識させられてしまいます。男性性を削りたい・中性/無性で在りたいというだけであれば睾丸摘出のみで済ませても良いかも知れませんが、やはり造膣なしでもSRSを受けて女性に近似するそれを持ちたいと思っている自分がいます。

脱毛は男性性を無くすのに手っ取り早いし上半身を1週間以上剃らずともチクチクしないので、QOL急上昇中。ホルモンはジェンクリでの血液検査結果によりますが、できるなら正式な形で投与を受けたい。胸はAくらいでも十分(完全な平らは嫌)だけど、取り敢えず豆乳は投入しています。あと今のお尻はストンとし過ぎ。

 

◾︎自分が周りから見て男性であること

特に平日、女性がオフィスカジュアルという名の私服勤務で男性はスーツ・ネクタイ必須というお堅い職場で働いていると、スーツを着ることは男性性という記号を纏うことと同義。第3〜第nの性が存在しないと信じている環境下では、周囲は私を男性と認識し私も純男性に擬態している訳で。逸脱しない範囲で幾らお洒落をしようとも、そこは変わりません。この苦痛は勿論ありますが、さて私服の時はというと…。

温泉で女湯の鍵を渡されたり街で「お姉さん」と呼ばれたりする=女性と認識される”事件”においては、正直喜びよりも驚きの方が先に来てしまったのです。「移行の過渡期にあって髪も短いし、100歩譲っても中性的な男性くらいにしか見えないであろう自分が今この状態で女性と見なされるなんて有り得ない」という思いがずっとあり。とは言っても「お姉さん」と呼ばれたのは実際嬉しかったし、「男性ではない存在」ではなく可能であれば「女性」として見られたい気持ちはある訳です。これは「社会が中性/無性という見方を許容しないならせめて…という妥協案か否か?」も自身で検証してみましたが、仮にそういう見方が許容されてもなお女性に見られたい気持ちが優っていました。

 

◾︎自分が社会の中で男性という性質を持った人間であること

ここが割と問題の点だったり。

 

・社会的に男性であると認識される…嫌は嫌です。今も、これからもそう認識され続けることも。

「ガッツリ女性ではないが、男ではないという確信はある」という自認で今まできましたが、そこにあった思いは「本当にガッツリ女性自認だったらどこかでドロップアウトしていたはず」というもの。確かに男扱いを嫌だけど仕方ないと思いつつ30年間やれてきてしまったので、私はその程度の半端者で中性だとの思いが強くあります。例えば合宿のお風呂とか、そういう長いものには波風立てまいと巻かれる方を選んで(選べて)しまうしなぁ…。

 

・強い存在として扱われる…身長やリーチ等、体格面で有利ならそれはこれからも使ってやろうか…くらいの感覚。治療を受ければ体力自体は落ちていくしね。しかし、男体持ちであるだけで(相応の背景があるにせよ)暴力性や非対称性が付与されること=大多数の純男性と同一視されることには、「私は違うのに」と感じる訳です。

 

・典型的ヘテロセクシュアル男性として扱われる…性交渉をどんな性別相手にも持つつもりが無いことは、今後も変わらないと思っています。これについては客体にも主体にもなりたくない。だから造膣も希望していません。

 

・男性らしい嗜好を押し付けられる…友人関係の浅さが幸いしているのか、恐らくこの手の話題にはなりにくいことが窺えます。

 

・古典的な男性の役割を押し付けられる…両親はこれから私がどう変わろうと、男としての理想的な姿しか見ようとしないので諦めています。私の容姿について「自分がいいと思っているならいいけど誰も(よろしくないと)言わないよ親じゃないと」と言うような人達なので。「いい」とは言ってない。「誰も言わないよ」と世間を使い、直接「私は嫌」とは言わない人達。

 

この辺りから今日の本題。じゃあ女性らしい嗜好や役割を押し付けられたらどうなるか?という話。

そもそも「私」の好みに合っていれば(いわゆる)男性らしくても女性らしくてもそこまで反発はしないんですよ。性別二元論で以て「男/女だからお前はこうしろ」と押し付けられることが私は嫌で。だから、もし仮に女性になれたとして、「女なんだから○○」と言われたら十中八九反発心を抱くでしょうね。社会的に女性と認識されることはRLEやパスの観点からも重要ですし私もそう在りたいですが、典型的な像を何の疑いも無く求められ押し付けられるとやはりそこは嫌な訳です。

 

それ故にnon-binaryとしてのXの一文字は譲れないと思います。では身体の方はどうか。中性/無性の身体は医療でも作れない訳ですが、男性の身体が嫌というだけではなく女性の身体を求めていること、自認に(こういう言葉は使いたくたいですし失礼だと承知の上で敢えて使うと)「本当のMtFさんへの比較や遠慮があってXを名乗っていたことが、色々整理した結果見えてきました。

そんな私の状態を表すとしたら、「MtFtX」或いは「中性と女性のフルイド」ではなかろうかという考えに現時点では至りました。言葉に縛られる訳ではありませんが、自分の目指す先を考えるとこうなるのかなと。

 

だから何かがすぐに変わる訳でもありません。今できることは先に向けて動いていくこと、その為に必要な擬態に耐えること、情報収集と思索を怠らないこと、溜め込まず吐き出すこと。何よりも日々生きていくこと。それが大事。負けない投げ出さない逃げ出さない信じ抜く…を全てにおいてやっていたら潰れてしまいそうなので。

2ヶ月経ちました

このブログも本日で丸2ヶ月。正直、自分にここまで書くことがあったんだなぁと驚いています。読書様も増え、ありがたいことです。

 

私の人生これからが本格進行な訳なので、今後も時にゆるゆる、時に毒づきながら色々と書いていきますので、どうぞ宜しくお願い致します。

 

昨夜は実家に泊まり、ジェンクリの宿題を一つこなしてきましたが、髪を中心に容姿についてまぁ言われる言われる…。twitterの方には書いていますが、気力が戻ってきたら原家族シリーズと共に整理して書くかも知れません。

我が家、私が両親の理想を演じている限りは円満ですが、それは円満とは言わないしそもそもそこが家を出た理由でもある…とだけ今は。

 

今日はお昼に芝居を観て夜にオーケストラの練習なので、少しずつ回復を試みます。

原家族 #2 学齢期中盤

今夜はジェンクリの宿題関連で実家に寄る予定だが、その後はきっと暫く書けないくらいには消耗すると思ったので、取り敢えず今日書ける所まで。

 

小学校復帰

さて学校復帰を果たした小6の私。その理由というのが「このまま戻らないでいると中学と行けないままで将来が大変だから」という、まさに「普通に戻る」ことを意識した理由だったのでまぁ余裕無いまま戻ったなぁと。この危機感は今でもはっきり思い出せる。復帰に伴い、小1以来となる「母子が24時間一緒にいない」日々が始まった。

当初、学校社会もとい集団生活のお作法を知らない私は協調性に欠ける行動を多々。そのため保護者会後の夜は毎回”尋問"で、私は自身の”悪事”について「私と誰が、何をどうしてどうなったのか」の一部始終を洗いざらい"自白"することが常となっていた。それ以外では、珍しく級友宅に訪問した際などはその時の様子の報告を求められた。微に入り細に入り訊かれたが、それに全て答えるのは当たり前だと思っていた。今までが(不健康な程に)ずっと母子で一緒にいたせいか、実母の目の届かない所で私がどうしているか気になるというのはわからなくもない。ただ我が家の場合、その気にし方が些か過剰だったという話を以下の大部分に割くことになりそうだ。

 

中学校

小学校を卒業し(全課程を修了したとは言ってない)中学へ。入学前には母子で中学を訪問し、担任予定の教諭に”事情”を説明する機会を持って頂いた。入学後は部活三昧で、級友宅に行くことも逆に誘うことも皆無。ぬいぐるみ等自身の”恥ずかしい”趣味を開陳することへの抵抗は強かった。

保護者会後の夜や日々の事細かな報告は継続していたが、集団生活のお作法を多少は私も身につけたのか、”尋問”ではなくなった。この頃に持病の手術もして完治。主に部活を通して学校への適応が見られたこともあって、両親はきっと「また普通に一歩近づいた」と思っていたことだろう。推測に過ぎないが。客観的にも私のセラピーが部活多忙により一旦終結しており(実母のカウンセリングは続いていた)、名実共に普通に近づいていたと思われる。

 

高校

算数・数学の大幅なビハインドを英語で補う形で当時できる限りの受験勉強を重ね、偏差値60台中盤の私立高に合格。中学とは異なり、過去の事情は話さずただの一生徒して入学した。高1の数ヶ月間だけ経過観察の意味で担当CPとのカウンセリングを実施したものの、それを以てセラピーは完全に終結。”普通”を手に入れ世界が広がったことが運のツキだったのだろうか。

3年生の先輩方に良くしてもらい、部活後に食事をして遅く帰ることが多くなった(無断ではなく連絡はしていた、念の為)。それ故、実母により門限が設定されるまでそう時間はかからなかった。必然的にまっすぐ帰宅することが多くなった。先輩の卒業と共に門限は解消されたがわ勉強量や部活での役割も増えたので、部活後に食事をして遅く帰ること自体がほぼ無くなっていた。受験で部活を引退してからは、高校と自宅から一駅隣の塾と近所の図書館と家の4つが生活圏。高2までと一転、何もかもが地元で完結するように。

門限以外には高校時代を通して目立ったエピソードこそ無かったが、その日1日「何があったか」「誰と何をしたか」「その相手はどんな人か(性別・クラス・部活・性格。年長者なら職場や経歴等)」は毎日洗いざらい報告していたし、特に誰かと何かすることが無かった日には「もっとコミュニケーションを取らなきゃ」と責められた。元来の内気な性格も含め「お母さんは心配だから」秘密を持ったり誤魔化したりすることは許されなかったし、身体への違和感等よほどのことを除いて当たり前だと私自身も思っていた。

※余談だが、特に世話になった部活の顧問の先生は今も交流があり、会う度に私の母子関係を気に掛けてくれていたっけ。

 

進路選択裏話

実は高校の入学前課題に自身や家族について書く欄があり、「親にこれだけはやめてほしいこと」の欄に「母の過干渉」と書いていた(そしてその課題の回答欄は全て母が"確認”した)。

そもそも高校も当時授業の一環で通っていた教会も高校で実施していたホームステイプログラム(結局選考には落ちたが)も大学(と学部とその先のキャリアパス)も、まず情報を持ってきたのは実母だった。学校への適応や部活に必死で私一人では情報を集められないと判断したのだろうか。それはともかく、「ここはどうか?」と勧められ見学に行き志望するというのがお決まりの流れ。私自身も「ここに行きたい」と言って実母や最終決裁者たる実父が納得した訳だが、両親による「お前がやりたいならそれでいい(ただし我々の認める範囲内で)」というやり口が、大学以降は前面に出てくるのであった。

 

次回予告

という訳で、次回は私の今にもかなり関わる学部〜修士編のつもり。正直これを書いてから実家に向かうのって気が重過ぎてならない。適当にやり過ごして極力消耗を抑えたいところ。明日の更新は期待しないでおいてほしい。

考課面談

が終わりました。なんと人生初。

これまでの職場では「逐次評価は受けるが制度化されていない」「目標と自己評価を提出する慣例だが、提出したらそれきりでFBが無い」といった具合だったので、「目標を提出して半年後に自己評価+上司の評価を受けることが制度化されている」職場自体が初めてでした。

 

当日まで緊張で気が重かったのですが、肝心の上司からの評価は自己評価よりはマシなものを頂けました。私としては「報・連・相、ミス無し、納期厳守」「自ら新たに仕事を引き受けていく」「業務そのものだけでなく関連知識も自ら調べ習得する」「部署内外を見渡して私への要求を察知し最速で行動する」といった当たり前のことができなかった半年間だったのでそれ相応の自己評価をした訳ですが。新人クラスへの評価基準がガバガバなのか、或いは既に諦められていてテキトー言っているのか…。

 

あと、絶対言われるのではと気にしていた髪の長さの件。結論から言うと、上司から言及すらありませんでした。しかし素直に喜べず。髪を指摘されなかったのは恐らく

  1. 職員一人ひとりの身なりを服装が厳しい(と言っても暗黙の了解なのですが)割にはさほど気にしていない。
  2. 私の耳掛けスタイル(今週からぱっちんクリップも使用)でうまく誤魔化せている(可能性は低い)。
  3. そもそも諦められていて、どこかのタイミングで首を切ろうと思っている。

のどれかだとは思うのですが、いかんせん何も言われないとどれかすらも思い当たらず。1であれば理想ですが、それでも伸ばし続けていたらいつかは限界が来るでしょう。職場全体に漂うお堅い雰囲気からそう感じます。

 

在職であれこれ進める望みは薄そうですが、健康診断の結果について面談した主任さんはまだ味方になってくれそうな予感。さてどうなるか。通勤なり業務内容なり、日々の体力的負担を考えると前職よりだいぶマシな環境なので、とどまれるならとどまりたいのです。

 

…ふぅ、やっぱり昨日の記事の続編をすぐに書ける程の力は戻らないなぁ。明日の夜はジェンクリの宿題関係で実家に寄るし、少しずつでも下書きしておこうか。