ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

揺らぎ 〜 性自認

1週間ほど前から揺らいでいます、性自認

 

「言葉を得て」以降今までMtX・アセクシュアルを自認していますが、他の人の話を聴いたり自身がジェンクリへの通院を始めたりしたことで、私が目指すものと言葉とのズレを感じてきました。特に「Xを名乗ること」について(アセクシュアルに関してもあるにはありますが日を改めて)。

以前の記事で性違和について整理した時には過去と現在の話が中心になってしまいましたが、目指す所である未来の視点で改めて考えてみたいと思います。

 

◾︎自分の身体が男性であること

男性器が付いていることは(いくら小さいとは言え)明確に不快。お風呂やトイレだけでなく、衣服の擦れですら意識させられてしまいます。男性性を削りたい・中性/無性で在りたいというだけであれば睾丸摘出のみで済ませても良いかも知れませんが、やはり造膣なしでもSRSを受けて女性に近似するそれを持ちたいと思っている自分がいます。

脱毛は男性性を無くすのに手っ取り早いし上半身を1週間以上剃らずともチクチクしないので、QOL急上昇中。ホルモンはジェンクリでの血液検査結果によりますが、できるなら正式な形で投与を受けたい。胸はAくらいでも十分(完全な平らは嫌)だけど、取り敢えず豆乳は投入しています。あと今のお尻はストンとし過ぎ。

 

◾︎自分が周りから見て男性であること

特に平日、女性がオフィスカジュアルという名の私服勤務で男性はスーツ・ネクタイ必須というお堅い職場で働いていると、スーツを着ることは男性性という記号を纏うことと同義。第3〜第nの性が存在しないと信じている環境下では、周囲は私を男性と認識し私も純男性に擬態している訳で。逸脱しない範囲で幾らお洒落をしようとも、そこは変わりません。この苦痛は勿論ありますが、さて私服の時はというと…。

温泉で女湯の鍵を渡されたり街で「お姉さん」と呼ばれたりする=女性と認識される”事件”においては、正直喜びよりも驚きの方が先に来てしまったのです。「移行の過渡期にあって髪も短いし、100歩譲っても中性的な男性くらいにしか見えないであろう自分が今この状態で女性と見なされるなんて有り得ない」という思いがずっとあり。とは言っても「お姉さん」と呼ばれたのは実際嬉しかったし、「男性ではない存在」ではなく可能であれば「女性」として見られたい気持ちはある訳です。これは「社会が中性/無性という見方を許容しないならせめて…という妥協案か否か?」も自身で検証してみましたが、仮にそういう見方が許容されてもなお女性に見られたい気持ちが優っていました。

 

◾︎自分が社会の中で男性という性質を持った人間であること

ここが割と問題の点だったり。

 

・社会的に男性であると認識される…嫌は嫌です。今も、これからもそう認識され続けることも。

「ガッツリ女性ではないが、男ではないという確信はある」という自認で今まできましたが、そこにあった思いは「本当にガッツリ女性自認だったらどこかでドロップアウトしていたはず」というもの。確かに男扱いを嫌だけど仕方ないと思いつつ30年間やれてきてしまったので、私はその程度の半端者で中性だとの思いが強くあります。例えば合宿のお風呂とか、そういう長いものには波風立てまいと巻かれる方を選んで(選べて)しまうしなぁ…。

 

・強い存在として扱われる…身長やリーチ等、体格面で有利ならそれはこれからも使ってやろうか…くらいの感覚。治療を受ければ体力自体は落ちていくしね。しかし、男体持ちであるだけで(相応の背景があるにせよ)暴力性や非対称性が付与されること=大多数の純男性と同一視されることには、「私は違うのに」と感じる訳です。

 

・典型的ヘテロセクシュアル男性として扱われる…性交渉をどんな性別相手にも持つつもりが無いことは、今後も変わらないと思っています。これについては客体にも主体にもなりたくない。だから造膣も希望していません。

 

・男性らしい嗜好を押し付けられる…友人関係の浅さが幸いしているのか、恐らくこの手の話題にはなりにくいことが窺えます。

 

・古典的な男性の役割を押し付けられる…両親はこれから私がどう変わろうと、男としての理想的な姿しか見ようとしないので諦めています。私の容姿について「自分がいいと思っているならいいけど誰も(よろしくないと)言わないよ親じゃないと」と言うような人達なので。「いい」とは言ってない。「誰も言わないよ」と世間を使い、直接「私は嫌」とは言わない人達。

 

この辺りから今日の本題。じゃあ女性らしい嗜好や役割を押し付けられたらどうなるか?という話。

そもそも「私」の好みに合っていれば(いわゆる)男性らしくても女性らしくてもそこまで反発はしないんですよ。性別二元論で以て「男/女だからお前はこうしろ」と押し付けられることが私は嫌で。だから、もし仮に女性になれたとして、「女なんだから○○」と言われたら十中八九反発心を抱くでしょうね。社会的に女性と認識されることはRLEやパスの観点からも重要ですし私もそう在りたいですが、典型的な像を何の疑いも無く求められ押し付けられるとやはりそこは嫌な訳です。

 

それ故にnon-binaryとしてのXの一文字は譲れないと思います。では身体の方はどうか。中性/無性の身体は医療でも作れない訳ですが、男性の身体が嫌というだけではなく女性の身体を求めていること、自認に(こういう言葉は使いたくたいですし失礼だと承知の上で敢えて使うと)「本当のMtFさんへの比較や遠慮があってXを名乗っていたことが、色々整理した結果見えてきました。

そんな私の状態を表すとしたら、「MtFtX」或いは「中性と女性のフルイド」ではなかろうかという考えに現時点では至りました。言葉に縛られる訳ではありませんが、自分の目指す先を考えるとこうなるのかなと。

 

だから何かがすぐに変わる訳でもありません。今できることは先に向けて動いていくこと、その為に必要な擬態に耐えること、情報収集と思索を怠らないこと、溜め込まず吐き出すこと。何よりも日々生きていくこと。それが大事。負けない投げ出さない逃げ出さない信じ抜く…を全てにおいてやっていたら潰れてしまいそうなので。