ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

大きな、大きな1年間

あっという間に過ぎ去ってしまった2023年。特に12月に入ってからは早かった。振り返って色々と「大きな」年だったと思います。趣味では色々と大きな挑戦をさせてもらい、健康面では大きな検査を受けることが増え、家族関係にも今までより大きめの変化がありました。拙ブログで5年間続けていた毎日更新を辞めて不定期に移行したというのも大きな変化だったように思います。

 

今年の健康面を振り返ると、ついに新型コロナウイルスに感染してしまったのがショックでしたね。医療関連業界にいてマスク着用も厳しく自身も相応の対策をしていてなお突き抜けてくるウイルスの強さよ。平熱35℃台に39℃台はしんどいなんてものじゃない。二度と罹りたくないものです。他には胃と大腸の内視鏡検査やMRIも受診し、皮膚科手術も受けました。このせいで例年にも増して医療費貧乏ですが、異常が無かったので良しとしましょう。ただ、アラフォーとなったせいか体調が100%良好な日は少なくなりました。内分泌系をいじっている時点で当然は当然なのだけれど。健康には気を遣いすぎるくらいがちょうどいい。

 

実家絡みでは誕生日に両親と会食をし久々に実家の敷居を跨いだほか、先月には祖父の十七回忌法要がありました。両親から私への関わり方は、昨年まで比で明確にマイルドになった印象です。私の容姿の変化を矯正させようとしていた人と、美容談義をするなど想像もしていませんでした。

両親に何故そんな心境の変化があったのか。後期高齢者入りや還暦を経て「丸くなった」と単純に片付けたくはありません。ただ、両親は両親で少しずつ虚像ではない今の私を見ようとしてくれているのだと思いたいですね。カミングアウトに関しては生きている内はきっとできないのでしょうが。首都圏在住30代でもまだまだこんなものですよ。

 

そのカミングアウトできない理由として、された側からの拒絶と否認が確実に起こるからというのは拙ブログでも再三述べてきました。私のようなノンバイナリ含む広義のトランス当事者にとって、2023年が日本での「最も危険な年」だったと後年に振り返ることになるのでしょうか。インターネットの中にいた"活動家"の方々がリアルデビューをしてしまったことは目立った出来事だったよう思います。

私自身の主張としては他称TERFに近いので、今年起こった種々の出来事について大きく声を挙げることはできません。「生きている内に差別はきっと無くならないから、それなら世間に合わせてひっそりと生きた方が良い」「出生時の"性別"はどうやっても変えられず、向こうと全く同一の機能を身体に持つことはできない」と考えているゆえ、これら信念を是認してくれるのはどうしてもあちら側の陣営になります。私に見た目の"説得力"が無く"逆埋没"ができるからそう考えるだけで、全当事者に言えることでは勿論ありません。しかし「差別反対」の言葉は、それが決して叶わない夢物語に思える私にはどうしても唱えられないのです。職場や実家にカミングアウトをせず、言わば「高みの見物」を決め込んでいると言えるのが現在の私なので、実にずるい立ち位置にいるとは思います。今この状況で無策にカミングアウトをするのは悪手でしかありませんが、もししたら私の信念にも変化はあるのでしょうか。新年に信念が変わる……ってコト!?

 

振り返ると、公私に大きな変化がありつつも私の中心的な部分は依然として頑ななままであるように感じられます。変われない自分が言葉を紡ぐことへの意味の見出せなさ、というのもブログ不定期化に際してよぎっていたことではあり。「うまくやり過ごす」だけの生活がいつまで続くでしょうか。そんなことを考えながら終える2023年でした。2024年は「私の干支の年」ですが、年男・年女に代わる性別に依拠しない名称があったら教えてください。