ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

癇癪

を起こしたくなる日でした、今日は。

 

今に始まったことではなく、高校以降からよくあったんですよ。だいたいが私の在り方に対する原家族の批判から始まって。やれもっと周りとコミュニケーションを取れだのそんな奥手じゃ駄目だのと、私が”普通”を(表向きは)取り戻していくにつれ私への要求は増していったように思います。まだ言語化なんて当時はマトモにできませんでしたから、行動化するしかなかった訳です。大声を上げ、地団駄を踏み、物を床に叩きつけ…食器やら模型やら壊しましたねぇ。

 

そんなことをしたくなる衝動が久々に湧き上がったのが今朝。しかも仕事中。浮かんだビジョンは「実家にて、髪が今より少し長い私が原家族に髪を切らない理由を詰問され、句読点ごとに地団駄を踏みながら大声で洗いざらいカミングアウトと共に理由を説明し、『二度と帰らないしこの子(実家にいる、21年間一番大事にしているぬいぐるみ)ともお別れ』と言ってその子を素手で頭から引き裂いて、”死なせてしまった”ことに号泣する」というもの。正直電車内で思い出しながら書くだけでも割としんどいし泣きそう。

 

…ちょっと別の画面見てクールダウンしたので書き進めます。そんなビジョンが仕事中に不意に浮かんでしまったものだから、午前中は集中力が途切れて思うように作業が進みませんでした(1日のノルマは定時で完遂しているが)。なんか、普段見せないよう努めている私の攻撃性が一気に溢れ出てきたようです。実家にいる間でなかったのが救いか…感情に任せて伝えるのだけは絶対NGのことなのでね。伝えないけど。

多分、主に実母から久々に私の在り方への批判を受けたのが発端でしょう。特にここ数ヶ月は実家への連絡も最低限(あちらから来た時にメールを返す程度。一度電話が来たけど)で済ませていましたし。且つ、交流会で沢山のLGBTQの方々とお会いして「違うことが当たり前」「性別に関する既存の規範に批判的」な空気感に慣れ過ぎてしまってもいました。その反動がどかっと来た形です。

 

私が身を置いていた場の”当たり前”はまだまだ世間では少数派であることを痛感します。そして、私がいつまでも原家族を切り捨てられない弱さを持っていることも。仮に原家族を味方につけられれば、手術の資金援助までしてくれるかも知れないと思うと…「良き親」でありたいA(C)なので。その望みはとてつもなく薄いのですが。

 

今日は耳に掛けた髪を留めるピンがうまくはまらず、これも髪を伸ばしていることへの報いでしょうか。他の課の人で、やけに私を見てくる人がいるのを見つけてしまいました。やはりクビへのカウントダウンなのでしょうか。なんか気分転換しないとまずい感じ。涙でも流そうか。

 

いつからか実家では一切の弱音が許されない空気になってしまい。期待・理想から僅かの逸脱も許されないのはきついものです。年末年始に帰らない、その決意だけは揺らがぬように。