ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

察するのはどっちだよ

保険の件もまだ片付かぬ中、更に追い打ちをかける出来事が昨夜ありました。原因は実父からのメール。近況確認&報告の体裁を取りつつも、実母のケアを私に求め更には私が途端に連絡を取らなかったことを”常識”を盾にねちっこく責める、何とも不快なメールでした。

以下、そのメール。※固有名詞改変と太字は筆者。

 

(私]殿。(実父)です。

ママの電話後の話では元気に過している様子とのこと安心しました。

一方のママは婆ちゃんが亡くなってからすっかり元気も無くなりました。気持ちも不安定で、ぼ~としたり、涙したりの状態です。たまには顔を見せて元気付けてやってください。ママにとっては唯一の肉親である息子から、声かけなど、いたわりの気持ちを表してくれると、それが一番の処方箋です。
婆ちゃんの七七日忌、100日忌にも出れないと言われれば、ママの気持ちは益々落ち込みます。ママの気持ちに寄り添ってくれるのが家族じゃないのかな。

私達は、何時も心の片隅に大切な(私)のことを思っています。

一人前の社会人にこの様なことを言わなければならない親の気持ちを察してください。

追伸
(父方祖父)爺ちゃんの13回忌を、11月30日(土)、hh 時mm分から(お寺)寺で(叔父)、(叔母)さん家族も集り執り行いますので、予定してください。

 

Twitterにも書きましたが、まず一言。

 

ふざけんな。

 

"一人前の社会人"が実の親にこの様な態度を取らざるを得ない、そんな私の気持ちを察してください。実母の気持ちに寄り添うのが家族というなら、もう私達は家族でなくて構いません。何故なら、寄り添った所で実母から、或いは実父からも返ってくる言葉は、”常識”の枠に私を嵌め込ませようとするお小言に過ぎないからです。

『髪を切れ』

『(その髪じゃ)クビにされる』

『彼女を連れてこい』

『長男なんだから』

『音楽もいいがそろそろ卒業を』

『ちゃんと専門を活かせる仕事で』

『免許は』

『留学は』

実家に帰る度、いや電話やメールでさえ言われたお小言。私はこうした言葉を何度原家族から投げ掛けられたか、もう覚えていません。あまりに多過ぎて。

あの人達が見ている『大切な(私)』は、”常識"的にあるべきライフコースを辿るとあの人達が求めている”私"。”普通"からは外れながらも自分自身の目標や価値を見出して固有の人生を生きる私ではないのです。

 

仮に「ふざけんな」以下太字の部分をメールで実父に返信したり或いは追加でカミングアウトなんてしたりしたとして、それを否定しないでいてくれるなら、放置してくれるなら良いのです。法要への参列だってする。死んだ祖父母が悪い訳じゃないから。でも、放置というのは原家族が最も苦手とすること…というか、私の記憶の限り一度もされなかったこと。そうではなく、”常識”を盾に、時に迂遠に時に直接、私がまっとうでないことを示しまっとうで在るようにと諭してくるのは明らか。

 

ああ、あの人達は今どれだけ「ワシが間違ってた。悲しい思いをさせてごめん。もっと頻繁に帰るし髪も切る。音楽やイベントも控える」と私に言わせたいことだろう。私が何が何でも譲れないことの逆を、私を”普通"で在らしめる為にどれほどまでに求めたいだろう。

 

元気に過している様子』?

そりゃそうだ。波風立てない為にこっちはそう答えるしか無いんだから。連絡が少なくなった私について『ああは言っているが何かあったのでは』とは思いもしないんですね。私の建前を鵜呑みにしね。『一大事なのにまともに連絡もよこさないなど、それでも”一人前の社会人"か。ろくでもない』とでも思っているのでしょう。少なくともこれまでのやり取りから私はそう感じます。

 

母方祖母、父方祖父、そのどちらの法事も参列したくない。原家族との接触が不可避だから。『時間もそんなに長くはないから』とは、実母なりの精一杯の譲歩なのでしょう。そんなことはどうでもよくて、私が参列する=原家族の思い通りになるということが重要。今のままだと多分相手の要求を飲んでしまうのだろうけど。またスーツにオールバック。

電話番号とメールアドレスと自宅の住所と合鍵と保証人。これらを握られている以上、真に逃げることは不可能。本当はドンパチせず静かに逃げたいけど、できないんだろうなぁ。

 

先のメールも電話も「原家族が私にどう動いてほしいか」ばっかり。指示、命令、示唆。もう一度言います。"一人前の社会人"が実の親にこの様な態度を取らざるを得ない、そんな私の気持ちを察してください。

カウンセリング、追加しようかな…。