ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

「親子は生きづらい」

今月上旬に発売したばかりのこちらの書籍を読了しました。

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福祉職の傍ら立命館大学で研究をされているトランスジェンダー(FtM)当事者の勝又栄政氏による初の単著。紹介からは親が子を理解していくという筋書きを辿らなさそうだったので、それが読むきっかけになりました。年の瀬という「家族」を否が応でも意識させられる時期だからというのも大きいと思います。結局、自身も年始に実家と対峙する道を選んだわけで。

 

読み進めていくと、著者視点と著者の母視点が交互に出てくる。最初は往復書簡の形式かと思ったらそうではなく、それぞれ独立して書かれたものの。だからなのか、双方向的というよりもお互いが一方的に自分の思いを綴っているように見え、故に生々しさを覚えました。親の思う幸せと子が考える幸せのズレ。それがありありと浮かび上がり、最後まで交わらない。その中でも互いが生きていくことは(関係性や居住距離はともかくとして)止められないわけで。この交わらなさは、我が家が今後辿る可能性の内の一つのようにも思えました。

私個人は実家の両親へのカミングアウトにすら至っていないわけですが、「幸せ」という言葉で見ている先が違うことは嫌と言うほど感じます。親の生きた時代、培ってきた価値観、子にかける期待。それらを基準にすると「自分はおかしい」としか思えないけれど、子である私が親の思う幸せに合わそうとすると自分の心がもたないことだけはわかる。幸せにズレがある状況において、どちらかがどちらかに合わせるよう強制/矯正しないことこそが、互いにとって心の混乱と傷付きを抑えることに繋がるのではないでしょうか。「子は子なりに自分の思う幸せに向かって生きているのだな」という境地に至るまでが難しいのだとは思いますが……。まずは、血を分けた家族であろうが自分以外は他人であると認識し自他の境界線を引く。これが最初にして最大の関門なのかもしれません。

 

著者の場合はある種『押し切った(巻末鼎談より)』形で『違ったままで、でも共に』という家族の在り方に今は至った。それまでには長い時間と重ねられてきたやり取りがある。我が身を振り返って、何も話さぬままに何某かの"境地"的な在り方に落ち着こうなどとは甘えているなとも気付かされた。厚みが違う。私の「話さなさ」は、本文中における『わがまま』に代表されるような否定を投げかけられることへの私側の恐れ(もとい確信)に大きく起因している。子の立場からすれば如何に関わりを断とうと努めても、決定的な否定の言葉を向けられるという未来はやはり恐ろしいものだ。しかし、何も言わずに良い状態に至りたいと願う私の方がもしかしたら『わがまま』なのかもしれない。『違ったままで、でも共に』という在り方は我が家には途方もなく先のことでも、実際にその状態にある家族を知ったことで私が非常にエンパワーされたというのは一つの事実。自分の実家との関わり方を考える上で、年内に読めて良かったと思います。

 

(以下余談)

さて、実父からは昨夜返信が(原文パパ)。

メール有り難う。
年末年始に帰って来るように誘いのメールをしょうとママと話していたところです。
良かったです。
久しぶりの3人での正月、楽しみです。
実家に帰って来るのだから遠慮なく力を抜いてリラックスして来てください。
暮れからならより良いがね。楽しみに待ってます。

実家だから、あなた達だからこそ、リラックスはできるわけもないのだが。取り敢えず、私の希望(居られるのは元日AMのみ)は汲んでくれたと判断して良いのかな。私からのカミングアウトはするつもりも無いが、不意にそうした話題を振ってくる可能性もある。その時に自分がどれだけ主導権を握ったままでいられるかが勝負な予感。核心に迫られそうな時に「答えないで宙ぶらりんのままにしておく」なんて芸当ができればベスト。はー緊張する。