ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

「最も危険な年」

これも土曜日の話ですが、ようやく映画「最も危険な年」を観ることができました。意外と関東圏での上映は少なかったように思えるこちらの作品。川崎市教育委員会の主催による*1麻生市民館市民自主学級「ジェンダー平等を目指して」の中で上映会が開催されるとのことだったので、そちらに伺いました。

www.themostdangerousyear.com

アメリカのトランスジェンダーの子を持つ家族らが反トランスの法案と戦う姿を描いたドキュメンタリー。2016年の出来事ですが、「ほぼ今の日本じゃん……」と思いながら観ていました。終わってからまず私が驚いたのが、当事者でありながら自分の心がさほど動かなかったこと。寧ろ、相対する主張の方への共感すら抱く始末。家族らがあまりに「性善説信奉者」に思えてなりませんでした。

私は性悪説で考える人間なので、トランス当事者を絶対善・無謬とすることには疑問があります。冒頭で当事者児童の母親が子を男子と決めてかかっていた(assumption)と述懐していましたが、それこそ当事者を善なる存在と思い込んでいる(assume)のではないでしょうか。ジェンダーアイデンティティによって不当な扱いを受けない、機会を奪われない、尊重される(否定されない)。これらが実現してほしいとは思いますが、悪意ある自称、或いは自己陶酔的で加害性の強い行動を防ぐ手立ての無いように私には感じられます。前者は英国のカレン・ホワイトが筆頭として挙げられ、後者は米国LAのWiSpa事件や中部地方のY氏等。犯罪者個人を批判すべきなのは尤もではあれど、世間一般はもっとざっくりと捉えて悪いイメージを膨らませてしまうと考えられます。悪目立ちする人物ばかりがクローズアップされ、「静かに暮らしたいのにとんだとばっちり」をその他多くの当事者が受けることの無いように、悪意を織り込んだ上で人権が保護される法律や社会通念が出来上がってほしいものです。

 

惜しむらくは、参加者間で感想をシェアする時間が無かったこと。社会運動としての理念と個人の生存戦略に端を発する現状追認……私自身の中でさえこの二つで真っ向から対立が起きているわけですが、共通の目標に対してのアプローチが違うだけなのだと信じています。或いはアライ視点か当事者視点かの違い、とも言えるのかもしれません。

*1:こちらの講座は年始にオンライン登壇をさせて頂いたものの今年度版です。リアルでの参加は初。