ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

新・職場とセクシュアリティ #8

少し間が空きましたが、午前中は毎月の勉強会。朝起きられるか心配でしたが、「寝坊した!」と思って飛び起きたら7:30だったという、ね。どうにも寝坊ができない性分で、こういう時は損に感じる。

 

今回の事例は複雑でした。全社に向けてカミングアウトした当事者の姿に感銘を受け、大っぴらにしないまでも個人的にカミングアウトしてくる人が出てくる。ここまでなら美談にできます。しかし、そこに別の人のセクシュアリティを聞き出そうと探りを入れる人の存在が加わると、一気に事が拗れます。事例のように「罠に嵌まって」、或いは日常でも「力になろうと善意で」アウティングをしてしまうことがある。

私は「自分の職場では起こらないだろう。何故なら私自身がフルにクローゼットな上にLGBTsという視点自体が無い職場だから」と最初に感じてしまったのですが、同時にこう感じたことへの危機感も覚えました。往々にして、自分だけは大丈夫と思い込んでいる時こそ無自覚に刃を振るってしまうものですから。それにしても「誰が誰に何を言った/言わない」を他人づてに確認するべきではないですね。基本的にはこの手の機微な内容は直接本人に確認すべきことだと私は思います。

 

その一方で、この事例でいう「探りを入れる」立場の人に対して心が動かなかった自分がいたのもまた事実。親和性を覚えるまではいかなくても、「恐ろしい」「酷い」といった感情の動きが起きなかった。寧ろ、探りを入れたくなる動機や知ってどうしたいのかといったことに考えを巡らせがちでした。晒してやる、考課の判断材料にする、社内での人間関係構築の参考にする……等、悪意という視点に偏って考えていたと振り返って思います。*1探り・晒しといった行為に対して自分の感覚が麻痺している、昨今のSNSでのドンパチを見慣れてしまった故にそうなってしまった面もあると自分では考えています。

なんというか、元から乏しかった自分の想像力が更に無くなってきたことを痛感しました。今回の事例のような話を聴いて、中心となる当事者や周囲の状況に合わせて自身の感情が動かないというのは、実はも何もかなりまずいのではと危機感が。私は、果たして誰の方を向いているのか?自分事として捉える為にはまずカミングアウトなり何らかのアクションを起こして、周囲の反応を一身に浴びるべきなのかも知れない。その実感が無ければ、結局は当事者の人権を考えようと幾ら口に出しても、今の私では空疎になるだけなのでしょう。

*1:それこそ、本人の無許可で機微な情報の載った投稿のスクショを晒すとかが日常的に行われていますからね……。時に悪意、時に茶化し、時に義憤によって。