ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

認めていただく

今朝、フェミニスト界隈では名の知れた論客のアカウントが凍結されたとの報せがありました。直近の炎上の発端となったのは、自分はトランスジェンダーであると表明した若い当事者に対して、そう思う定義を尋ねたこと。私はこの問いかけについて、未成年の内に「自分がそう思う」だけで取り返しのつかない身体的治療を受けて後悔しないように、その方に揺るがぬ決意と相手を納得させ得るカミングアウトをできるだけの説得力があるか尋ねたものと解釈しました。

これに対し、トランスジェンダー当事者に定義を尋ねるのは人権侵害であるとの声が多数。私もこの議論に加わる中で、特定の人種や疾患を持つ人(黒人、精神障害者など)に対して同様の質問をすれば人権侵害だと指摘を受けまして、それについては当然納得します。「そうである」だけで生きてそこにいる人が、何故定義を問われる必要があるのか。これで「質問者が納得できる」説明ができなかったとして、当該当事者は存在しているのだから。そもそもヘイトスピーチだ。無知故の恐怖?いつの時代だって話。

 

しかし、トランスジェンダー(特にMt)の場合にはこれをそのまま適用しにくいのでは?というのが私の考え。治療始期によって外見に出る男性的要素の多寡に差が大きいこと、異性装への忌避やシスノーマティビティは未だ根強いこと、容易な(裏道的な)診断書入手ルートが存在すること、女性用スペースに侵入する性犯罪者が多いこと……。当事者を取り巻くこうした状況がある中で安易にカミングアウトに走っても、それが受け入れられるとは考えにくいことがおわかり頂けるでしょう。家族、学校、職場等を納得させられる説明ができなければ、納得するに足る説得力を言葉・外見の両面で持っていなければ、次に相手から来る言葉は「生理的に無理」「大問題」「馬鹿も休み休み言え」「明日から来なくていい」「二度と敷居を跨ぐな」といったもの達です。

ならどうするか。本来は既にある権利が侵害されている状況だとしても、多数派の方々に認めて頂くように慎ましい態度で説明に当たり居場所を獲得する……いや、多数派に擬態して得た仮初の居場所を失わないよう振る舞うのが筋ではないでしょうか。

 

これはあくまで、歳のある程度いった私が現代日本でどうサバイブしていくか考えて導き出した見解。できることなら権利が侵害されずに生きたいし自分だけでなく一緒に立ち上がってくれる仲間がいてほしい。ただ、私が生きている間にそうなるとは残念ながら思えないので、ならばなるべく多数派の枠内で迷惑をかけないようひっそり暮らしたいのです。