ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

「ジェンダーアイデンティティが分かりません!!」『トランス男性によるトランスジェンダー男性学』刊行記念

周司あきら×高井ゆと里「ジェンダーアイデンティティが分かりません!!」『トランス男性によるトランスジェンダー男性学』(大月書店)刊行記念

 

昨夜はこちらの鼎談を視聴しておりました。周司あきら氏初の著書「トランス男性によるトランスジェンダー男性学」は発売間も無く購入していたのですが、恥ずかしながら他に読んでいた本達を消化できておらず「はじめに」と目次を読んでから積読状態……。しかし、鼎談が本の内容にがっつり絡む感じではなさそうだったのもあり、先日の「WHIPPING GIRL」の勢いでこちらも視聴することにした次第。周司氏によると「男性の多様性」としてトランス女性が男性学の一部に括られないように、男性の中にトランス男性がいるということを伝える為に、出版を早めて2021年内にしたとのこと。ネット上の言論空間を眺めていると確かに「男性の多様性」を唱える声は昨秋に比べ増えていますから、出版が今月とかだったらこの本を巡る評価も違ったのかも知れません。

 

前置きはこの辺りにして、拙いながらも感想など。まず開催日が近いということもあってか、登壇者お二人の語りの中にWHIPPING GIRLの(イベントで知った)概念らしきものが流れているように感じられました。

性別移行の結果として移行先の側に入っているという状態の捉え方はおそらくsubconscious sex的。『移行しても性別を付与されている感覚が抜けない(高井講師)』『トランスを名乗らされているけれどまあいいか(周司氏)』という言葉からも、私含め確固たる反対側の性別のidentity或いは帰属意識がある!という当事者ばかりではないことが窺えます。私個人としても「女性になりたい」よりは「男性を辞めたい」という言葉の方が自分の感覚をより正確に表せると考えています。周司氏が『He is a true transsexual man.』という診断書の文言への違和感を表明していたように、私もまた*1性自認は女性であり、終生変わらない』と書かれることにはしっくりこない感覚がありました。

いくら装いを変えようが投薬を受けようがメスを入れようが、私が私を表せる言葉は「女性」ではなく「男ではない」なのでしょう。今の私は社会的にもまだ男性として暮らしていますが、今後まかり間違って女性として生活できるようになったとしても、男たれとの期待に対してそうであるように、女たれとの期待には沿えないと感じる気がします。

oppositonal sexismを示していると思しき『運動会のたとえ』とそれに続く高井講師の語りを聴く中では、幼少期~思春期にかけての自身がなかなかに無意識に(或いは考え無しに)男性をやれていたように思えました。周司氏が移行前に『かわいい女子をやれていた』ように、私は「キモい男子をやれてい」ましたね。というか恥ずかしい話ですが、自分の身体や男女の区別、男/女らしさの規範等に対するなんかよくわからんけど"違う"感じ」を20代に突入するまでマトモに言語化できていませんでした。幼少期にそれらは*2疑う対象ではなかった。所与の枠組みを疑うことを知らない愚かな子供だったと振り返って感じます。

ガタイが良いと羨ましがられるのが嫌、女子と付き合いたいと思えない、ましてや挿入などきっとできない、どうやっても父親になるイメージが持てない……。*310代に入り少しずつこうしたズレが生じてきた時も浮かんだのは「私がおかしいんだ。だから秘密にしなければならない」という思い。おかしいのは自分という感覚を持ち続けていただけに、同じような人が他にもおり、しかも名前が付いていると知った時の驚きと言ったら……。ジェンダーの概念や男女の典型に収まらない人達の存在を通して『自分がおかしいのではなかった(高井講師)』と気付けた。言語化の精度こそ天と地の差ですが、この時の計り知れない安堵感を思い出せました。

 

鼎談の視聴を通じて改めて自身のgender identityについて振り返ってみて思ったのは、私もどちらかと言えば「ジェンダーアイデンティティが分かりません!!」と言う側の人間であろうということ。いやまぁ、見た目も生活実態も声も性器も染色体も男な身にあって、わからないだの「男ではない」だの言っても信じてもらえないのは百も承知。それでも、女性に向かう治療を受けながら考えるのは*4「女性になる」「私は女性」ではなく「男性を辞めたい」なんですよね。

さて、肝心の本の方もなるべく早く読み進められるようにせねば。

*1:この文言よりも、『性同一性障害、以上の通り診断いたします』と淡白に書かれた主治医の診断書の方がまだ私にとっては収まりが良いです。

*2:正確には「疑うという選択肢すら無かった」でしょうか。

*3:男女分けの洗礼とも言える小学校に通えていなかったことは、もしかしたら幸いだったのかも知れません。それで却って気付きが遅れた可能性もありますが。

*4:身体的条件を鑑みれば『ワタシハオンナダー』なんて身の程知らずなことは言えないが、それはあくまで後付け。