ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

クリスマス

になると、いつも教会⛪️のことを思い出します。高1〜M2まで8年間通い続けた教会。

 

きっかけは高校の夏休みの宿題。ミッション系だったので、教会の礼拝に参列してレポートを書くという課題があったのです。配られた教会ラストから近隣の教会を探していたところ、実母が勧めてきたのが当該のO教会でした。曰く、近隣を通った際に目に付いて良さそうだったからと。私も絞り込みの途中だったこともあり、言われるがままにそこに行くことに決めた訳です。

初めて参列した際は、今まで身の周りで存在を認知していなかったクリスチャンの方々が老若問わずこんなにいるのかと驚いたものです。クリスチャンホームを除く多くの生徒が単発の参列で終わる中、私は珍しく教会に通い続けました。今思えば、高校に進学し表面的には”普通”に見えつつも皆と違う過去がある負い目?劣等感?から、礼拝で語られる牧師の説教に何らかの救いを求めていたのかも知れません。「ミッション系に入った以上は入信した方がいいのでは」という考えもありました。救い目的とステータス目的が半々位で。当時は通う動機すら言語化できなかった。

 

教会の方々からは「無口で真面目、音楽に力を入れる学生さん」という認識。教会学校での英語聖書輪読、クリスマスやイースターの祝会での演奏、青年会でのパーティー運営や聖歌隊での賛美歌奉仕等、礼拝以外にも色々な面でコミットしてきましたが、全てが自らの意思だったかというと疑問符が。教会の方々の勧め、実母の期待、自分の断れなさ…色んな要因が絡んで結果得た教会での立ち位置でした。

 

大学に進学以降も通い続けていると、牧師や教会学校スタッフから振られるのは洗礼に関する話題。新しく通い始めた別の学生さんがスピード受洗したことも影響していました。当時の私は「実父が浄土真宗の信徒なので、お墓をどうするか等の問題もありまだ考えられない」と返答していました。それもそうなのですが、聖書の内容や牧師の説教に共感する部分こそあれど、自分中心に考えがちな私は、本丸の「キリストを信じる、信じて生きていく」という部分がどうしてもイメージできなかったのです。聖餐式の度に牧師が語る『神は全ての人を招いてくださいます。ですからどうか、主を受け入れるご準備をなさいますことを、おすすめを致します』との文言も、初期こそ「何故自分は信じられないのか」と嘆きながら聴いていましたが、次第に「私には受け入れられない」との諦観に変わっていったように振り返って思います。

 

神ではなく自分を中心とする考え方から逃れられなかったことが結局は一番影響していますが、それでもなお(時に惰性で)通い続けたのは、原家族の影響が大きかったです。「一度関係を築いたコミュニティを離れる」、言ってしまえば「人間関係を切る」ことに対してはとても強い拒否反応を示す人でしたから。「人間関係はずっと継続すべきもので、関係が切れるのはお前がコミュニケーションを取らないからだ」という考え方の持ち主。原家族は進学の度にそれまでの級友と疎遠になっていく私を見ては、何度もこの考えに基づいて私を糾弾したものです。

※なお、実母がO教会を訪れたことは一度も無い

 

そんな中、長く教会を離れざるを得ない出来事がありました。M2の夏、紀要論文の査読翌日に行った礼拝。その帰りに自転車事故を起こしてしまったのです。左膝の肉が骨が見える程大きく抉れ、未だ消えぬ傷痕(物理)を残す大怪我でした。骨折しなかったこと、運動機能に後遺症が残らなかったことが救いでしたが、しばらく移動も不自由になり、私や原家族の考え云々を抜きに教会どころではなくなりました。

事故での怪我によりしばらく通えなくなる旨は勿論教会に連絡しましたが、結果的にはその日を最後にフェードアウトする形となりました。怪我から回復した頃にはちょうど修士論文で忙しくなり、次年度には就職もしたので最終的には原家族も教会の話題を出さなくなりました。しかし卒業するまでは、日曜になる度にまた通わないのかと頻りに言われたものです。勿論上述の人間関係が途切れることへの糾弾もセットで。卒後1年半くらいは、教会学校で一番お世話になった方から折に触れてお手紙を頂いていましたが、私の方から考えの変化により教会を離れることにした旨の手紙を出して以降、音沙汰はありません。

 

その結果、今の私は積極的無宗教ないし無神論という状態。洗礼は受けずじまいだったので、棄教には当たらない筈。クリスマスは巷にもクリスマスソングが溢れます。その多くは賛美歌由来というのもあり、イースター等その他のキリスト教行事よりも強く教会のことを思い出すのです。

もうO教会ではイブのキャンドルサービスが始まっている時間。礼拝と祝会の後、私がいた頃は駅前に繰り出して賛美歌を歌いましたが、まだやっているのでしょうか。自ら切った縁ですが、再びの参列が許されて6年振りにキリスト教に触れることがあったら私は何を思うのか。そんな物思いに耽りながら、ひとりきりのクリスマスイブ🎄