ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

行動力

昨日のパンケーキ会と二次会を終えて考えたこと。

 

この会以外にも精力的にオフ会を開催されている方が数名いらしたんです。私も一応は「脱インドア派宣言」をしたものの、行動力の次元の違いをひしひしと感じてしまいまして。かたや企画があれば参加する自分、かたや自ら企画を立ち上げる方々。なんというか、私はあくまで受け身レベルにおける行動力が伸びただけだなぁと。

人間関係についても、これまでモテたことさえ無ければ(自身も望まなかったけど)コミュニティ内で主導権を握ったことすら無かった。何なら私は、人と距離を詰めるということを30年間せずに最低限の関わりしか持たずに生きてきた人間です。私にとってコミュニティとそこでの人間関係はいつも与えられるものであり、自分ではどうにもできないもので在り続けました。特に学生時代まではそれが顕著。「居るだけの存在」であることに慣れきってしまっていました。まぁ、小5後半に出された「自分のことをどう思うか」的な課題で「いてもいなくてもいいような存在」と書いた時に比べたらマシなんですが。

 

話が少し逸れた。そりゃ動ける人・注目される人なりの悩みは勿論あるだろうけど、主催者・発信者レベルの行動力のある人は羨ましいし尊敬もします。私ができないことを何度も何度も実行されている訳ですよ。私は一介のモブで、実績も人望も後ろ盾も何も無いから。自分には人の上に立つ資格が無いとはずっと思ってきた(集めてお話したいクラスタはいるけれど)。でもそれは、これから述べる思いを覆い隠す為の建前?だったのかも知れません。

基本的に私は波風を立てたくないし、何かあった時の全責任を負いたくない(その余裕も無い)だけなんでしょう。波風を立てない為に30年間自分を殺してきたし(性自認に関わることさえも!)、まだそれは続いている。とは言え、建前?と書いた部分も実際に思ってはいることで。前者が嘘で後者が真実、と単純には言い切れないと感じてはいます。

 

行動力を二つのレベルに分けて述べましたが、そうするとお前の自己分析と努力が足りんだけだと言われそうだし事実そうだけれども、それでもなお越えられない壁っていうのはあると思うんです。誰もがリーダーにはなれない。でもモブなりに、受け手なりに、凡人なりに、種々の企画に参加しながら考えを巡らせて、何か自身の/誰かの将来に資するようなことを少しでも掴めれば。そう思っています。いつかは私が音頭をとって何かしたいけれど、暫くは受け手側で力を蓄えようかと。自身の無能さとの闘い。