ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

something BEAUTIFUL

本日はミュージカル観劇へ。演目は、米国シンガーソングライターのキャロル・キングの生涯を描く「ビューティフル」。推しが主演ということで以前も観劇経験があるのですが、この度3年振りの再演と相成りまして。帝国劇場にはそれ以来となる再訪でした。

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詳しいお話の流れはネタバレになるので割愛し感想をば。

初めに上演されたのは2017年8月。この時から今に至るまで、色々な変化がありました。主演の推しはご結婚&ご懐妊。私は転職と性別移行。それらを経て、改めてあの格調高い舞台と向き合う。前回は推しが舞台に立っていることや劇伴のサウンドに注目しそれらが主に印象に残っていました。しかし今回は、登場人物の心模様により敏感になった自分に気付く。ラストシーン、カーネギーホールでひとり自由に堂々と唄うキャロルの姿は、いちファンとしてというよりもその在り方そのものに胸を打たれました。

  

私が最初にこみ上げたのは冒頭のキャロルのセリフ。

人生には思い通りになる時と、思い通りにならない時がある。思い通りにならない時、人は何かを見付ける。美しい何かを。

"Sometimes life goes the way you want it to, and sometimes it doesn't. But even when it doesn't, sometimes you find something BEAUTIFUL."

私がこの言葉やラストシーンに涙し、そして感想を思い巡らせながらまた涙腺が熱くなっているのは、もしかしたらそこに私自身の"something BEAUTIFUL"の欠片を見たのかも知れません。性別移行を諦めようとするのも、自身の外見や他者の評価が思い通りにならないことだらけである故。今まで誰か別のアーティストの為に曲を提供し続けていたキャロルが、終盤にはあるきっかけから自分自身で唄うようになります。新作はキャロル自身の物語と評され、その自身の物語を引っさげて音楽の殿堂にて堂々と歌い上げるのです。

 

逆境の続いた果てに、誇らしく自分を生きたキャロル。私が見て涙した"something BEAUTIFUL"は、その在り方だったのでしょうか。涙するほど揺さぶられた私の内にあるものは羨望、いや渇望だったのでしょうか。

重大な決断をするだけの判断力が今は失われている、その可能性もきっとゼロではない。そう思えて、少なくとも今回の観劇により揺らいだのは確か。あともうちょっとだけ、立ち止まる時間を下さい。