ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

末広がり

で、縁起の良い数字とされる「八」。今日はそれが3つ重なる、拙ブログ888日・888記事目です。

 

だからといって何も無いのですが、節目なので一応記録に残しておこうかなと。実際に私が今置かれている状況は、広がるどころか逆に閉じていっています。現実を見に行っては自分が詰んでいることを実感し、益の無い嘆きを撒き散らして同情或いは叱責を誘おうとする。プラス方面に『生産性が無い』だけならまだマシで、マイナス方面の生産性ばかりが上がっている格好。開き直りと言われればそれまでです。

 

性別移行以前に自身の醜さ・幼さと向き合ってそれを治せということなら、移行を諦めてそちらの治療に専念するのもありなのかも知れません。オッサンスタートの偽者なのだから。

……とは言え、「自分の幼さを治す」という作業は本人が幼い故に厳しい道であるように思えます。加害性や傷に向き合うことは、常に自分が一番弱くてかわいそうででも庇護されていたい人間にとっては、何としても何としても何としても避けたいこと。安全地帯(と本人が思っている場所)から喚いている人間が一直線で治すプロセスを辿れるなんて、決して有り得ない。そこに投資する価値があるのか……などと考えていたら一生動かない気もするし、だからと言って無理やり治療のレールに自身を乗せようとしてもドロップアウトしそう。実家に対しても職場に対しても逃げてばかりだし。手詰まりだ。「八」は逆にすれば行き止まり。

 

こうして頭で文章をこねくり回して何か考えたフリをしても、自分の心に響いていないようじゃどうしようも無い。いつか決定的な何かがあった時にこの記事を見返して、何か心から感じることはあるのでしょうか。

……なんか「自分が、自分が」ばかりだね。血が通って生きている存在としての他人が不在。これが現状。