ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

選び捨てる

「迷いながら選び取る」年にしたいと思って始まった2021年。振り返ってみると、「選び取る」というよりは「選び捨てる」1年だったように感じます。取るに対して捨てるだなんて*1ネガティブなことばかりな印象を抱かれそうですが、捨てたことがポジティブな結果をもたらす場合もあると思います。寧ろ「世間的に良いとされていること」に対しての訣別の意で「捨てる」という言葉に至ったとも言えるかもしれません。

 

2月:慢性上咽頭炎治療開始

決まったシーズンに決まった症状で悩まされていた風邪と思しき症状。嘔吐反射を嫌がって頑なに受けてこなかった治療を遂に受けると決心。目覚めが良くなった他、患部の僅かな不調もモニターできるようになる等、少しずつではありますが改善していっています。

嘔吐反射への恐怖と定期的な感冒症状(の可能性)を捨てました。

 

4月:本籍移動と分籍

引っ越しに伴い、本籍地を新居とは別の場所へ移しました。その上で分籍をして、転居先が載らない形で両親の戸籍から抜けた自分だけの戸籍を作ることに成功。現代日本では法的に親子の絶縁ができないためあくまで形式上の手続きに過ぎません。それでも、書類上離れるだけで心持ちは少し変わったと思っています。

両親と一緒の戸籍を捨てました。

 

5月:引っ越し

一人暮らしを始めてから6年間お世話になった土地を離れて隣市へ転居。第一希望の物件を契約するつもりで書類の性別欄に○をしたらオーナーに驚かれ、異性装の理由を詰問されるトラブルもありました。全住民へのカミングアウトまでしましたが、後々こじれたくないので別の物件へ。多大なるサポートを頂いた勉強会仲間と親身になってくださった駅前の不動産会社には頭が上がりません。利便性は買い物↓・交通↑↑で旧居とトントンですが、住環境が静かで落ち着けるのは良いですね。

なお、住民票の閲覧制限は私の場合DV防止法に該当しないと警察で言われ、できていないのが現状。そのため*2居所を突き止められる可能性はまだ残っていますが、不意の襲撃に怯えることは減った……と思う。

住み慣れた土地を捨てました。

 

6月:実父からの長文メールと私の反抗

母方祖母の三回忌法要への出欠を巡り、実父からご丁寧にpdfで長文を頂戴しました。一番精神が削られた月だったと思う。一言で言うと『パパとママの為に気持ちを察して"伝統的家族"の形と営みを守ることに協力してください』と私視点で解釈できるメッセージ。世間的な"常識"や"伝統"といった期待に沿えない立場としては、本当に苦しかった。諦めて相手方の言い分を飲もうとしましたが、意を決して(だいぶオブラートに包みながらも)自己主張を試みました。それに対してはメールという媒体だったせいか激昂されることも無く、『考え方を知ることができて良かった』との返信。熱量の差こそ納得できていませんが、「言えば何でも聞いてくれるいい子」ではないのだと知らしめることくらいはできたのではないでしょうか。これにより8月の法要欠席を勝ち取ることに。

両親が私に抱いていた「理想の子」像を捨てました。少なくとも私は捨てたつもりです。

 

8月:髭脱毛契約満了

4年間にわたり隔月で受けてきた髭脱毛が終了しました。残る産毛は家庭用のマシンと毛抜きで何とかするとして、受ける前と後で最もQOLが上がった医療施術だと言えます。ゲイコミュニティに居たらヒエラルキーの頂点に行ける程のヒゲモジャから、歳の割に小綺麗な中年へ。施術が進むにつれて「しっくりくる」感覚が強まり、4年間続けて本当に良かったと思います。

このせいで色々な選択肢が閉ざされていると感じていた濃い髭を、ほぼ捨てることができました。

 

9月:睾丸摘出

詳細は「除睾哀史」シリーズに述べていますが、これにより男性ホルモンの恐怖から解放されました。健康な身体にメスを入れることの賛否はありましょうが、メスを入れないまま心のバランスを崩していくよりは良い選択だったと信じています。自分の身体を少しだけでも許せるようになったのは大きな変化。

男性機能の一部を捨て去りました。

 

しかし、社会的な移行は未だ大して進められていません。移行が進まない自身に"説得力"が無いことはわかっていたので、もしカミングアウトを否定された場合にも「ホラやっぱり自分の周りはこんなに差別的だ!これが現実だ仕方無いんだ!」と思って傷付きを軽減できるよう、予防線をずっと張り続けていました。この"仕方無い現実"に符合する価値観は、主に両親や前職から受け取ってきた前時代的な男女/家族観に始まり、いわゆるジェンダークリティカル論客が訴える所の安全性を巡る主張も含まれました。この180度転向した思想で以て、「トランスは受け入れられるはずが無い」「ノンパスは公害」「男で生まれたら一生男」「生得的女性の安全の為ならトランスが当該スペース利用ひいては人権を制限されるのはやむを得ない」といった言説を本気でそれが正しいと*3熟考無しに信じて*4拡散していました。

こうした行動を選んだことで失った人間関係は数知れず。私がどんな思いだったかはともかく、結果としては「当事者でありながらヘイトに加担した」のですから当然ではある。Twitterから離れてもなお、ニュースやコメント等で目にする同様の主張にすぐ靡きそうになってしまうあたり、転向以前の考え方を再び理解するのは2022年をかけた大仕事になりそうです。

 

10月:父方祖母法要

こちらは母方祖母の法要より前に日程を決められており、私に選択肢が無かった方の法要。親族一同が集う機会でありながら、私が思っていたのは「早く終われ」「話題を逸らせたい」ばかりでした。感染症対策で会食は無かったのがせめてもの救いかな。

この時ばかりは私自身の心の平安を捨て、イエの形を崩さぬよう神経を使いました。

 

11~12月:駆け抜けて、そしてまたも実家と

このように心を悩ませつつ色々なことを秋までに捨ててきましたが、11月を過ぎれば手術の傷も落ち着いて公演に集中せざるを得なくなりただ駆け抜けるのみ。社会的な方面での進展は皆無でしたが、*5今年も職場で何も指摘されなかったので現状維持とも言える。2022年もどうせ決定的な行動は起こせないので、現状維持は最低限できればと思います。もしやれれば、偏見に引っ張られがちな自分の思考体系の解明も。

最後に選んだのは、実家に帰らず年越しをすること。来いと言われず襲撃もされないであろう時間帯に、オミクロン株への感染不安を理由にこちらから電話する形で両親に告げました。結局実父に『別にうるさく言わないから(来てくれ)』というまるで*6「先生怒らないから」みたいなテンプレの前フリを食らいましたがそれも固辞。電話を終えようとしたら……。なんと実母から『宅急便もう届いた?』との一言。どうやら、年越しの祝いにと何某かを送り付けてきたらしい。え、それ旧居にでしょ。電報みたいにすぐ転居と伝わらなくても、もう旧居ポストは閉められている(12月に確認済)のでじきにバレる。「もう酒を飲んじゃったし初日の出にも行くし、業者に手間かけさせたくないからこっちで時間指定するよ。だから伝票の番号教えてくれる?」と尤もらしい理由を並べ立てて番号の聞き出しに成功。ネットではできなかったので、コールセンターに連絡して営業所止めにしておくよう依頼。年明けなら受け取れることになりました。こんな日でもやっていたコールセンターに感謝!でもこういう誤魔化しはもう通じなくなるのもわかっている。郵便物の転送期限は1年だし、『この歳で親に逆らえないと泣きを入れる方が色々厳しい』と"戦友"さんが述べていたのもその通りだ。来年も自分はどうせ行動できないと予想する一方で、傷付くことへの恐れをこそ選び捨てなければならないのかも知れませんね。人生においてケリをつけねばならないことは、まだまだ山積みだ。

 

長く長くなりましたが、2021年も閲覧ありがとうございました。来年は果たしてどんなことになっているやら、皆様どうぞ良いお年をお迎えください。

*1:自認上の後厄ですしね。あまり関係無いですが。

*2:電報が届かなくて旧居にもういない旨が伝わってしまう、とか。

*3:というより、一度思想が固定されると、アルゴリズムも固定され「熟考」という行為自体ができなくなると実感した。

*4:しかも、自分の発言ではなくリツイートを主に使うことで、直接自分に矛先もとい責任が向くことを避けながら。

*5:流石に目が節穴過ぎてこっちが心配になります。密告という習慣が無いのか弊社には。

*6:そういう場合に限って先生は怒る、という所までお約束。