ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

除睾哀史 #0 心境、余地なき弁明

本日、受けてきました。昨年の内にやりたいと思いつつも、スケジュールや金銭等の兼ね合いでできなかった睾丸摘出。当日になってみるとめちゃめちゃ緊張して、地に足がついていない感覚が続いていました。朝は薬だけ飲んで後は絶飲食。ちょっと余裕を持って家を出たつもりが、なんと電車が運転見合わせ。別の駅まで急いだおかげで何とか間に合いましたが、これまでの行いが悪いツケが回ってきましたかね……。

この度私が摘出をするということで、あれだけツイートではもう性別移行は無理だ何だの言っておきながら結局やるのかよと憤りを覚えた方も相当数おられたようです。twitterが全て真実とは限らないし、事実わざと虚実織り交ぜて投稿もしていました。そりゃ真剣に自分には無理なのかとは考えましたよ。それでもぶら下がっているモノへの嫌悪感は消えないし、治療前の状態に戻る想像は耐えられなかったし、男として老いていくことはやっぱり考えられなかった。それ故に、職場にも無理を言って連休を頂いて水面下で準備をしてきた次第。

「断念宣言」の当時はあの場を収める為にも「んな訳あるか続けるぞ」とは言えず、卑屈キャラ路線を煮詰めるしかできなかった私。今思えば、何で素直になれなかったんでしょうね。「男の面子」?に近いか。卑屈を拗らせてフェイクを事実であると意図的に誤認し開き直ることを続け過ぎて、*1引っ込みが付かなくなってしまっていました。

自分が実際に抱いている素質・環境面でのコンプレックス

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同情集め目的での身体スペックや性別移行への認識に関するフェイク

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「弁える」ことを中心とした「ジェンダークリティカル論客」との主張の一部一致

という3要素が組み合わさり、わざと織り交ぜていた虚実が自分の中でごちゃごちゃに。「断念撤回宣言」をしようにもそれこそ引っ込みが付かず、結果だけ見れば私は大噓つきであり、以前から繋がっていた多くの当事者のフォロワーさん達(≒私の転向前と近しいイデオロギーを持つ)を踏み付ける言葉を吐いた/広めたアカウントというのが大方の認識でしょう。twitterで直接繋がっていなくても、たまたま私のツイート/RTが流れてきたのを見た当事者がショックを受けて、取り返しのつかない行動に出てしまっている可能性もある。「間接的に人の命を奪った/ている」と書けば、私でも事の重大さには気付けます。

 

これが免罪になるとは思っていません。人の心や命が関わる話でそんな都合の良いことはあり得ない。ケジメではないですが退路を断った以上は、今後の行動で示していく以外に無いと考えています。

  • 政治的な発言を脊髄反射で拡散しないこと
  • 論客の主張を「自分だけに当てはめてみればまぁ事実だよね」と「私以外の当事者についても普遍的に言えることだ」とで切り分けて捉え考える視点を養うこと
  • 必要以上の自虐を慎み、良い出来事を「相手の目が節穴」「事実ではない」と矮小化しないこと(『私なんか喜んではいけない』と思わないこと) 

キャッチーな言葉達は次々と目に留まります。それだけ性的マイノリティにまつわる問題が多いのはそうなのですが、義憤に駆られて周りが見えなくなっては仮に望ましいことであっても受け入れられはしません。以前相互だった、お互いに割と深く家庭の事情を知っていたフォロワーさんから『界隈から出て行った方が良いと思う』と言われたことがあります。あの方の真意とは異なるかも知れませんが、言葉の波が目に入ると我を忘れて拡散したくなるのなら、そもそも最初の刺激をシャットアウトしなさいというのは尤もです。平たい話が「ネット依存が過ぎるぞ」ということなのかも知れませんね。

 

ブログタイトルでもある「ボール」を取ったにも関わらず、それ自体よりも周囲の反応や私の考えに焦点を当てた話に今日は終始しました。摘出前夜に*2とある"同志"から頂いたメッセージがこれらを考えるきっかけにはなっていますが、それが無くともいつかは考えて言葉に残しておかねばならないことだったと考えております。

手術本編やダウンタイムの話は明日以降に。お目汚し失礼しました。

*1:これは、今まで敢えて口を噤んできたのに今年に入ってから手を出した"政治的"な話題においても似たようなことが言える……と思います。

*2:この場で改めて御礼申し上げます。