ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

悔しくて腹が立つ

原家族はいつも一方的だ。

先日実父から父方祖母の十三回忌はこの日だと提示された。どうせ親世代一同での決定事項だしこれまで通り反論の余地は無いから参加しない選択肢は無いのだろうなと思い、メールに特段返事はしなかった。すると昨日実母からこの件でメールが。

『パパが、、(私)くんから法事の返信が無いと言っています。』

上述の理由で何も返す気が起きず黙っていましたが、そんなこと実母は知る由も無い。「確定だと判断して返事をしておりませんでした云々」とのらりくらりした返信だけしておいてメールのやり取りを終わらせました。すると今日の夕方、今度は母方祖母の三回忌の日程がまたしても一方的に告げられました。

『連日になりますが、連絡です。今日、(寺)の御施餓鬼法要と*1亡父の命日が近いので墓参に行ってきました。おばあちゃんの三回忌ですが(日時)に決めました。宜しくお願いします。』

もうツイートを読んでいただければわかると思うので、ツリーのリンクをぶら下げておきますね。

実母の、いつでも『家族、家族』と家族が身体も心も一緒にいることにご執心で私を「個人」として見ない所、自己満足の道具として(哀しいかな、無自覚だ)使おうとしている所、私の罪悪感に働きかけて言うことを聞かせようとするやり口セクシュアリティがどうとかではなく、だからこそ離縁をしたいと改めて痛感する。でも、それを訴えようとしても向こうは美辞麗句と善意で外側を塗り固めているから、対外的には「献身的な両親と親不孝な息子」という像の域を決して出ない。

三回忌だと言われた日は、COVID-19で延期になってから必死に1年かけて準備してきた、音楽活動の珍しくクリエイター方面で大切な大切な予定の日でした。メール一通でそれを辞退しなければならない形になったのはとても悔しいです。

法要に参列することだけが祖母への感謝を示すやり方ではない、と私は考えていますが、それは独りよがりなんでしょうね。小さい頃云々と出されると過去に執着しているようにも思えますが、『過去があっての今の家族。だから大事にして』と反論されるのは目に見えている。できることなら、法要を欠席して元々決まっていた予定を優先したかった。そうやって実母に意見できない自分の弱さに対しても悔しさはあるし、腹立たしさも覚えます。"そこまでのこと"を実母に対して言ってしまうと、未だ切っていないカードである私の本音を伝えることになって"全面戦争"が始まるか実母が自殺するかのどちらかになる。それでも意見をぶつけられる覚悟が欲しい人生でした。

 

なんだよ。自分を個人として尊重しろとほざいておきながら、結局自分自身に個人を確立させる気が無いじゃないか!!

それがまた悔しくて腹が立つ。

*1:母方祖父は私が生まれるより前に他界している。