ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

3周年

本日、ブログ開設から3周年を迎えることができました。これもひとえに私が1日も途切れず更新を続けてきた積み重ね。生業にしていたら「これもひとえに皆様が支えてくださったおかげ」とか言えるのでしょうが、そうではないので悪しからず。*1この営みに生産性があるかと言われれば無いのですが、何もしないよりは自分の考えを整理し言語化するのが少しは早くなったような気がしないでもない。

 

3年目をやってきた中で思うのは、と言っても割と最近の話にはなりますが、政治的な議論をしながらやり取りの中で自己分析をしていく機会が増えたと感じています。"左側"と少し距離を置いてからの私の言説は万人に受け入れられるものではなくなり、今まで親しくさせて頂きながらも袂を分かつことになった相互さんは数知れず。それでも表に出てくる主張こそ違えど、目指す所は一緒ではないかと考えています。意見が異なる(と見える)方々との議論を通じて、自分が身に付けてきた思考や行動のパターンが掴めてくることもある。

パターンの大きな違いとしては、自分にとってネガティブな言葉や態度が向けられた時に、それらを

  • 跳ね除けようとするか
  • 聞き入れようとするか

だと思っていて。私は後者に当たるので、前者の方とは目指す場所が同じでも反りが合わないことは多々。更には自分が「何かネガティブなことを言われる→その通りだと黙って従う」ことや政治的議論の場で日常的に用いられる強い言葉に慣れているために、他人に対しても何もかも聞き入れる(投げたボールは取れよ打ち返すな)よう求める傾向があるようで。それが相当に抑圧的であることに、議論の中でハッと気付かされた次第です。

 

元々今の主張は自分や自分に近い属性の人々が如何に救われるか、また自分の"前科"と同じようなことを犯す人が出ないようにと考えての結果。だとしても、言葉の選び方への注意はハッキリ言って欠けていってしまったなと。脊髄反射的にやり取りを返せるtwitterと腰を据えて書けるブログでの違いはあれど、ブログ慣れをして手癖で書けることが増えてくると、どうにも真に落ち着いてじっくり言葉を選んで紡ぐということは久しくできていないように感じます。実際、*2攻撃的な言葉を思いつくまでの時間が凄く短くなったと思うので。

ブログというフォーマットを無駄にしない為にも、4年目は改めて「言葉に気を付けろ」と自分に言い聞かせていきたいです。

*1:子供を作らない時点で生産性は無い、んでしたよね。あの発言は本当に腹立たしくて拙僧忘れもしませぬ。

*2:これが私の本性だと言われてしまえば、その真偽がどうあれ返す言葉はありません。