ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

新・職場とセクシュアリティ #10

今日は定例の勉強会だったのですが、なんと!2年2ヶ月ぶりにオフラインでのリアル開催。決まってから当日までで情勢の急激な悪化も無く、懐かしの場所へ足を運びました。扉を開けるとお世話になっている主催者さんの他にも知った顔が。最後にリアルでお会いしたのはコロナ禍前。お元気そうで何よりです。

 

2年の歳月で変わらないものがあれば、変わるものもあり。メンバーの様子や食事をした店の料理の味は以前のまま。しかし私のイデオロギーはというと真逆に変遷してしまいましたね。今回の事例が「トランス女性のフリーランサーと、勤務先の職員が持つトランスへの偏見」に関してだったこともあり複雑でした。当事者本人に益することは○○だと思う……と意見を述べる一方で、偏見を持つ職員側の価値観や最近のヘイトと他称される発言の方にも同意できてしまう。二枚舌、二重人格、そうなのかも知ません。*1良く解釈すれば"敵情"を知ったことで"相手"の出方を高精度で予測できるが、悪く解釈すればその場だけ善人のフリをした風見鶏。

ただ、突き詰めれば「私は社会・家庭・外見等の種々条件によりアイデンティティに沿った暮らしができる見込みが無いので、多数派の価値観に沿って弁えて生きていきます」という話でもある。トランス当事者も一枚岩ではないから、この「私は」というのがミソで、そこから先の一線は容易に踏み越えるべきではないのでしょう。ここで如何に自制できるかがカギなのだと思います。

 

この2年間でできてしまったイデオロギーの差は勿論急には埋まりません。しかし、意見を交わす場だからこそ、一般論ではなく主語を「私」に置くことは忘れないよう自戒したい。それこそが健全な議論に必要なことだろうから。TRAとTERFを経た私が、久し振りにリアル開催の勉強会に出て思ったことでした。

*1:良く=会の場の価値観に相応しく、悪く=会とは真っ向から反する価値観、とも言う。