3年ぶりのリアル開催となったTOKYO RAINBOW PRIDE。最終日にはなんとしてもという思いがあったので、現地へ赴きパレードにも参加してきました。
代々木公園の門をくぐった時は感慨深かった。当事者中心の細々とした――しかし興味深くリアリティのある――ブースが減り大企業のブースがメインになっていることや、執行部の資本に寄り過ぎた発言や"お友達"に関して思うところは当然あります。ただのアピールになっちゃいないか、権力に阿るばかりで人権の回復という視点が疎かではないか、と。それでもなお、いち性的マイノリティ当事者としては*1デモ行進をしに来たんだという気概で、3年前より長くなった渋谷路を歩きました。
*2二級市民として慎ましく生きるだけではなく、変えられないことに基づく不利益を背負うこと無く生きさせろという意味で、私はHappyとは一度も言えなかった。言わなかった。それでも、リアルイベントだからこその可視化が成された点ではPRIDEという言葉を掲げパレードを歩いた意義はあると思っています。
会場では*3弁護士相談ブースがあったので、職場へのカミングアウトに際してほぼ確実に起こる攻撃への対策を少し相談。これから自身のセクシュアリティを打ち明け「少なくとも否定されず」に働けるようになる為には、(昨日の主治医との話でも出ましたが)どうしようもなく地道な草の根レベルの「種まき」に舵を切らねばならぬことがわかりました。国や職場での制度、ニュースでやっていた……等のマクロな話から入っていって『信頼できる人を見つける』ことが必要だ、と。裁判費用は最低でも月収以上(解雇無効を訴えるならもっともっとかかるそう)は必要だそうで、しないに越したことは無いけれども想定に入れた資金繰りをせねばとも感じたり。
また相談の中で、自分が思っていた以上に「私の辛さを受け止めてよこんなにも八方塞がりなんだよ!」という感情が前面に出ようとしていたことに話しながら気付いて、あぁこりゃ法律相談だけで何とかなる話でもないなと危機感も覚えています。
これとは別でお世話になっている当事者の先輩とたまたま再会して話す時間が持てたのですが、『配慮が必要と感じたタイミングでカミングアウトすれば』とのアドバイスにはその通りだなと思った一方、やはり私自身の"トランスとしての説得力の無さ"を分かち合える相手はいないとわかってしまって。骨格なり顔つきなり膂力なり、そこに女性的というか『あぁ、やっぱりそうだったんだ』という"説得力"が無いからこそ、カミングアウトをしても信用されず批判の嵐になると確信できて話が進まないんですよね。
世の中を渡っていく上でルッキズムはどうしても切り離せないもの。本来ならそれが無くなるのが理想ですが、*4そうすぐに変わらないならこの価値観の中でどう振る舞うかを考えねばならなくて、その結果として私にはカミングアウトせず隠し通すという選択しか出なくて。理想論で社会は回らないから主流な価値観に合わせる必要性があるのだけれど、今日みたいな日ばかりは理想を唱えたい。
どんな見た目だろうと、内心を、生き方を、少なくとも否定はしないでほしい。
職場では気付かれていないけれど、それでも「いない」わけじゃないんだ。
だから私は、渋谷路を歩いた。これでもしCOVID-19に感染して行動履歴を辿られる羽目になっても、もしかしたらちょうどいいのかもしれない……などと思ってもいます。来年も歩けますように。