ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

東京トランスマーチ2022

昨日の通院後、トランスジェンダー追悼の日に先駆けて開催された「東京トランスマーチ2022」に足を運びました。新宿中央公園に着くと、昨年には見られなかったブースがずらり。昨年は「これからここで本当に何か始まるのか」という簡素さでしたが、比べ物にならないほど大規模化していて驚きました。それだけ各地から連帯する団体があり、主催の尽力もあったということなのでしょう。

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とは言え、私は当事者ながら思想的にはTERFとされる身。当事者の立場から人権を訴える資格は無いので、昨年同様にデモ行進の中には入らず沿道から見させて頂くことに。決して怪しげ目的の者ではないつもりにて。最後尾をひっそりと追いましたが、「Quiet Zone」なる声をあげない一角があるのはとてもinclusiveに感じました。皆が皆、声をあげたい・音が多い方が良いわけではないものね。

で、最後尾ということは主に見ていたのは4号車の「ありえないデモ」フロート。素人目線ながら他3フロートよりも一番デモらしい印象を受けました。デモというイベントの日ではあっても*1ハレではなくケの訴えをしていくことの、お祭りではない切実さがある。シュプレヒコールにあった『自分は自分、他人は他人、違って当然』という言葉。本当にそうだと思いながら聴いていたら、通行人の若いカップルの彼氏の方が『当たり前のこと言うなよw』と笑い飛ばしていました。見たところ10代か、行っても20歳になるかならないかくらいだろうか。それを当たり前と思えることが羨ましいと同時に、おめでたいとも思います。それが当たり前でない人や環境もある。そこに直面して抗えなくなった時、あの人は何を思うのか。そのまま『当たり前』で生ききれるのが一番ですけれど。僻みみたいですみません。

他のシュプレヒコールについて、『ホルモンに保険を適用しろ』はまさに日々の死活問題だしどうにか達成してほしい気持ちで私もいっぱいです。でも『特例法を改正しろ』『トランス○性は○性だ』と言うのは今の私にはまだ同意しかねるし、思ってもいないことは言えない。『制度を人間に合わせろ』というのは理想だけれど、ただ「人間が制度に合わせる」のが泥臭い現実ではないかと思ってしまう。デモという形での(或いはそこまでしないと/しても伝わらないという嘆きや怒りも込めた)規範への抵抗は大いに共感できるものの、規範に巻かれたい側の当事者との相性は最悪なのだろうな……とも感じる次第。一枚岩でないのは当然として、内輪での潰し合いはこれ以上しないでほしいですね。連帯する所はして、相互不干渉ですむならそれが良い。

 

……とまぁ、こんなことを書いていられるのは、自分がまだセクシュアリティ由来の大きな困難に直面していないせいもあるのでしょう。見た目にわからない以上、カミングアウトをしない限りは不当な扱いを受けることも無いというわけ。そう言えば、『(転向後の)今は安全圏から撃ってきている』ととある方に指摘を受けたこともありました。このリアリティの薄さというか冷笑由来で嘯く泥臭さみたいなものは、何を読んでも誰と話しても、自分で行動を起こしてそれに向かい合っていかない限りは卒業できないのかもしれません。

デモの参加者は約1000人。凄いことです。あるブースのアンケートの内容に抵抗を覚えたとか、沿道に常駐している人は少なかったとか、スタッフ内でのトラブルがあったらしいとか*2課題も色々とあるみたいですが、いつか必要の無くなる日が来るまでは改善を重ねて続いていきますように。参加者でもない外野のくせにあれこれとすみません。お目汚し失礼しました。

 

*1:どこぞの4月の一大パレードとは違って。

*2:当日の様子を調べる際には、「トランスマーチ」だけだと参加者側の感想しか出てこないので、外野の声まで拾うなら日時指定して「新宿 デモ」でも検索してみるのが良さそう。