ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

ジェンクリ #68

新年度初の定期通院。ちょっと遅めの時間に予約したからって、支度に手間取ってギリギリ到着なんてやっていたら世話無いわ……。たまたま患者さんが少なかったからすぐ呼ばれて安心したものの、「ギリギリもしくは遅れるタイミングで到着する」なんてことがもし続けば、失錯行為だと思われてもおかしくはない。

 

昨日の仕事帰りに浮かんだ思いを診察室では吐露しました。「いつまでこの生活が続くんだろう」。これは昨日だけでなく最近とくに思うことが多い。焦りと諦めが綯い交ぜになったような感覚は、感じていて気分の良いものではありません。職場で「ここぞ」というタイミングがずっと掴めずいることが一因でしょうが、掴めない或いは掴ない理由としては、以下のような思いもあります。

即ち、「カミングアウトや配慮を求めることは加害行為ではないか」ということ。アウティングがセットでくっついてきて、言われた側は自分の言動がいつ差別認定されるかもわからず怯えることになる。そんなことを、自分の都合ばかり考えて他の人間相手にやれますかって話ですよ。面食らった様子だった主治医からは『どのくらいの割合でそう思いますか』と訊かれました。『冷静になって考えて』と念押しされて私が出した答えは、「思う:思わない=6:4」。

これはネット論壇で今の*1当事者達で主流と思われる考え方でもあり、私もそれに引っ張られている節はあります。しかし、職場はネットと違って個々人の腹の内までわかるわけではない。『そんなこと言われても迷惑だ』と表立って言う人の存在を確認できない以上、100%思うと考えるにはまだ早いと判断しました。リアルの人間関係においてトランスのロールモデルが不在故に、情報欲しさからネット論壇に目をやるとどうしても目立つんですよね。『そういう意見もあるんだ、くらいに見ておくのが良いと思います』と、主治医にも釘を刺されました。

 

結局はいつも診察で言われているように、自分のタイミングだと思った所で自ら動かねばどうにもなりません。ネット論壇だけでは見えてこないリアルな人・リアルな考えに、オフラインで性的マイノリティ当事者が集まって話す機会が激減してからパタリと触れなくなった気がします。「いつまでこの生活が続くんだろう」というのは、言わば八方塞がりのような感覚。人と人との直接的なコミュニケーションを通さずして、突破口は開かれないのかも知れません。

*1:特に、シス女性との共生を中心に訴えている当事者が中心。