と、SNSに書き込んでいる連中のスクショと通報が捗りました。他には「よっしゃ」「祝杯」「勇者」「因果応報」「天罰」等まぁ色々。私はこの手の物言いには慣れていますが、そうでない方は検索など努々なされぬよう自衛頂きたく。
選挙戦最終盤にあって、暫くはもちきりとなるであろう安倍晋三元首相の暗殺事件。語られなかったことを多く残しながら凶弾に斃れた氏に、深く哀悼の意を表します。
私はね、政治的立場としては氏と真逆だったんですよ。それこそ首相在任中から「アベ政治を許さない」と一貫して思ってきた立場。改憲の構想から窺える『美しい国』の在り方がとてもおぞましく、日本の時計の針が戻ること、その『美しさ』の規範に自身の心が蝕まれることを危惧していました。しかしですよ、こうした一市民としての思いはあくまで投票によってなされるものではなかったのですか。私にだって、差別的な発言に対して怒りを覚える政治的は何人もいます。でも、いくら憎しとて、そこでテロ行為にうって出るのは悪手も悪手。分けなければいけない、絶対に越えてはいけないラインだったのではないでしょうか。
高校生の頃から私が支持してきた*1とある政治活動家は言いました。『政治は責任を求め、追及することによってしか正しくできない』と。その手段は言葉であって、暴力では決してない。本件を受けて、恐らくは参院選で「弔い合戦」とは称さずとも*2与党に大量の票が集まると思われます。言葉通りの事件が連鎖的に起こることも懸念されます。言論ではなく暴力によって一つの「結果」が生まれてしまったことで、政治活動の制限、ひいては日本に暮らす一人ひとりの自由が締め付けられる方向に行ってしまうことを憂慮します。
明後日は、投票するという行為の重さを改めて噛み締めつつ臨みたいと思います。