ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

後期高齢者

に、なりました。実父が。戦後直後の混乱期に生を受け、はや75年。この呼び方に賛否はあれど、一つの区切りを迎えたわけです。

 

今日は朝から日が暮れるまでスタジオに篭もりっきりだった私。外に出た私は、実家からのメールが来ていないことに安堵しました。

『いよいよパパも後期高齢者。いつ何が起こるかわからない世の中です。こういう時ですから、顔を見せてくれませんか』

とか、

『おかげさまで75の節目を迎える事が出来ました。お前も来年には節目の35歳。将来のことは考えていますか。どうしたって親が先なのですから、先に繋がることについての話をしたいものです』

とか、*1こういうことを言われるんじゃないかとリハーサルに集中できませんでしたよ。

 

ここ半年ほどは実家からのコンタクトが無かったので、本来なら気にせず過ごせば良いだけのはず。なのに、誕生日だったり命日だったりと節目節目で引き戻されてしまうのです。法的な絶縁はそもそもできないし、住民票の閲覧制限すらできなかった以上は完全に逃げることは不可能かも知れない。それでも、私が気兼ねなく私でいられない・そうあろうとすると否定されるか茶化される場からは、できるだけ距離を取り続けたいものです。変な気を起こして自分からメールしなくて良かった。こちらからわざわざ傷付きに行くこたぁ無いわな……。

*1:文章の内容は過去の経験に基づく創作