ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

綺麗事ばかりを

仕事を終えてガラケーをチェックしたら、嫌なものを見てしまいました。実父からの5通にわたるショートメール。以下、原文パパにて引用します。

 

その後変わりないですか。毎日、仕事では自分の役割をしっかり果していることと想像しています。

一方では、年が明けても一向に顔を見せないので”どうしたの”とも思っています。

この場合の”どうしたの”は、①いっぱしの社会人として生活しているの?、②家族を思う人ではなくなってしまったの?、③人の気持ちに寄り添う心がなくなったの?と言うような意味です。

①社会人なら季節の節目等の機会をとらえて近況報告をしたりして社会との関わりを大切にします。1人では生きていけないから。

②家族という基盤が有ってこその人生。大切な存在と思う。

③自分中心ではやっていけない世の中。他者の気持ちを大切にしたいものです。

 

兎に角、自分を大切にして下さい。

 

見終わって、深いため息。私が”普通”の人なら”当たり前”にするべきことをしていないと咎める実父。自身の考えをまとめて返信する為には見返さねばならないが、見返したくない。まず、実際には返信しない私の本音から書かせて下さい。

①②③と、とても一面的な価値観ですね。昭和の時代ならばこれらは疑うことも無い不変の真理だったかも知れない。或いは時代を問わず、私が”普通”=シスでヘテロでモノな性愛者であれば、そして親子関係に関する疑念を私が持たなければ、これらを当然として従ったことでしょう。しかし今の私は思う。これらは不変の真理ではなく数多ある価値観の内の一つでしかない。そしてこの時代或いは私にはそぐわないと感じられる価値観だ。

①各所で関わる人達との関係を維持する手段としてはまあわかるが、今まで関係を持ったあらゆる相手に対してする必要はあるか?或いは相手も同じように望んでいるかはわからないのでは。節目でルーティン的に連絡を取ることだけが『社会との関わりを大切に』することでもないでしょう。その定義からして曖昧ですが。

②イエありき、その考え方は色々な事情でそれが合わない人の心を大きく蝕みます。少なくとも今の私は、今の『家族を思うような人ではな』いと言えるでしょう。それはこれまで私が両親から言われて/されてきたことの積み重ねや、私自身の価値観…いや、アイデンティティと言った方が適切かも知れません…に由来しています。詳しくはまだ言えませんが、両者のすり合わせ(断じて論破や懐柔や服従ではなく)次第では関係が切れることもあり得るでしょう。

③『他者の気持ちを大切に』しても、それ故に自分自身の心が壊れてしまってはどうにもなりません。他者の…貴方達の為の人生ではない、自分の為の人生だ。勿論1人だけでは立ち行かないし他者を蔑ろにする訳でもありません。他者を尊重こそすれ、決して滅私ではありえない。そこまで言っていないと反論したいかも知れませんが、貴方達の言動から今の私は残念ながらそう思うしかないのです。これまで自分の意思に自分自身でも気付けず、気付いてからも貴方達の顔を窺い時に口を塞がれながら生きてきた人生。私は私の為に生き抜いて最期を迎えたい。それが結果的に訣別になったとしても。

『自分を大切にして下さい』なんて、わざわざ最後に取って付けなくてもいいんですよ。一見綺麗事に見える言葉ばかりだからこそタチが悪い、反吐が出る。曖昧で常識的な美辞麗句で私に罪悪感を抱かせようとして、楽しいですか?自分達は息子の為に正しいことをしていると思って送ったのでしょうから、少なくとも最悪な気分ではないでしょうね。私が両親にどんな思いを抱いているか、それを話すと多分勘当されると思いますからしばらく距離を取らせて下さい。その時が来るまで息災で。

 

…本音だとしたらこんなところでしょうか。言える訳も無いのですが、ここまで実父に言われてしまうと”決戦”の時が近付いているように思えます。祖母の墓参りの話もまだしていなかったしそれもしつつ、「日々恙無くやっているが、思う所があり顔は合わせられない。何かあればメールなり電話なりで伝えようとは思う」くらいのことは言うべき段階なのかも知れません。「決して愛想が尽きた訳ではない」「会えなかったのは今の私なりに気を遣った結果」まで言ってしまうとちょっと余計かな。

 

ともかく、土曜日くらいまでには何かしらの返答ができるように準備したいと思います。有識者各位のお声もあると嬉しいです。