が、経ちましたね。当時の私はまだ学部生。卒業式に管弦楽部で演奏する曲の自主練をしていた学内で14:46は訪れました。グラウンドに避難し、夜のバイトは食べ物を買うお客さんがひっきりなしに来店。深夜には帰宅困難者となり実父が車を出してくれたことを思い出します。
あれからあっという間に10年。あの頃に志していた仕事は適性無く早くに業界を去り、自身のセクシュアリティを見つめ、原家族からの干渉に耐えかね決死の思いで実家を出て、身体の治療も始めて今に至ります。
そんな節目の朝、案の定ですが実母からメールが届いていました。
おはようございます。体調に変化はありませんか?元気でしょうか…
今日は3.11
10年が経ちましたね。
一日一生
自分を大切に〜
家族…たまには連絡をくださいね。
此方二人、変わらず元気に過ごしています。
『家族だから』と、当たり前のようにそして大事に大事にしたためて送ったメールなのでしょうね。しかし、震災以降のNHKが絆・絆と強調したのを彷彿とさせる文面に、私は重圧しか感じられないのです。*1報道が食傷気味に思えるように、やれ節目だやれ家族だの美辞麗句で飾り立てられるのは残念ながら負担でしかない。寧ろ、殊更にそう言っているからこそ逃げたのだというのは伝わらないのだ……と叩きつけられたようで哀しいのです。
節目の時に防災や命の大切さに思いを馳せること自体を否定はしていません。ただ、そこに付随する家族親族との絆をこそ絶対視する風潮が負担である人もいる、というだけの話。
失踪計画が当初の想像通りいかず暗礁に乗り上げている所にこのメール。なんだか朝から削られてしまったな。
*1:これは東北に縁者がいないからこそ言えてしまうのかも知れませんが。