半年前のことを未だに……とは思いますが、塗りつぶされないように記録。
昨秋の東京トランスマーチにて群馬大・高井准教授が掲げていたプラカード。この「くたばれ差別警察ども」という言葉が攻撃的だ、*1「くたばれGID」を連想させる、女性相手だとしたら見過ごせない等の批判や投書があるそうで。しかしこれ、そもそもの文言が違うはずです。差別警察ではなく「性別警察」。物的証拠が無くて恐縮ですが、私はあの日ずっと、氏が参加したありえないデモのフロートに並走して沿道越しに肉眼で見ていたのでそうだと言い切れます。
この言葉、世の中を表す上で言い得て妙だと私は感じました。いつでもどこでもどんな状況でも、何かにつけて*2「性別」を問われる現代日本。要らないのではと内心では思っていても、それでも「男女の」「性別」を前提として暗黙の了解として、そこに入らないものは無いと確信して物事が運んでいく。こういった世界を嘆き、怒り、そして逆に枠内に入れて困らない側に問うている言葉として本質を捉えた四文字だと思いませんか。
「差別警察」の方がさも事実であるかのように広まっているのを見ていると、この辺の検証は現地に居なかった人達の限界なんですかね。或いは、現地に居ずとも証言を取れる者とのコネクションが無いか。一度こうだと思ったら一直線の推進力が重要になる局面もあるにはありますが、ここではなかったろうに。止まるんじゃねぇぞ……じゃなくて止まれよ。事実が誤りで塗りつぶされているさまを垣間見た気がしました。