ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

最後の1ヶ月

が、始まりました。アラフォーと呼ばれる前の。

 

今まで以上に健康不安に脳内や生活が支配されている私ですが、それもそのはず。あと1ヶ月もすれば世間からはアラフォーという扱いに。正直、ここまで生きるイメージって小さい頃は持てていなかったですね。結婚することや「父親」になることだってそうなのだけれど、それ以前に歳を重ねて生きている姿というのはどうにも見えてこなかった。

それは単純に想像力が乏しいとか「大人」を引き受けることへの忌避もあるとは思います。ただその中にはどこか、「他に選択肢が無い」にもかかわらず「男性」としての延長線を引けずにいたという理由も含まれていたのでしょう。別の選択肢を選ぼうとしてもそちらに進めず足踏みしてばかりなわけですが、道は一つではないと知れただけでも良いことだったのではと感じています。そこに道があると知らなければ、そっちを向いて先を見ることさえできないのだから。

 

そうは言っても、どんどんと「年相応」の振る舞いを求められる局面が増えているのもまた事実。中年らしく……といった時に、道がどうとか諦めたくないとか、そんなことは流石に言えなくなってきます。と思うと、批判を集める言葉だとわかってはいても、やはり「弁える」という言葉の重要性が浮かび上がりますね。いつまでも身の丈に合わないことをするものではない。そのことは、治療を続けながらも忘れてはいけないことだと改めて胸に刻みます。