ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

グッバイ、サー

いよいよ今日と明日で、年齢から来る呼ばれ方が変わります。アラ○○が、次のステージへ。

これは正直な話なんですけれど、こういう年齢になるまで生きる想像っていうのは成人してもなおできていなかったんですよ。先が見えない……というのは変わっていないけれど、例えば10年前と比べて視界は多少広がったとは感じています。あの頃は「世界が私に何をしてくるか」が全くわかっていなかった。今もそんなにわかってはいないにしても、ある程度の予測を立てつつ振る舞えるようになったつもり。

前は例えば「想定外の出来事に遭遇するとパニック」という関数が組まれていたとして、「想定内の出来事」が1つか酷い時は0なこともあった。それが今は2〜3くらいにはなってパニックの程度も100から75くらいには減ったから、年数というのは馬鹿にならないものだと思いますね。

 

兎にも角にも、前にアラが付き始めた頃と比べたら、私もちょっとだけ人間っぽくなれたのかもしれません。性別絡みで医療の力を借りたりオンラインオフライン問わず色々な人に出会ったりしたことは、人間化を後押ししてくれたと思います。勿論それだけではなく、趣味コミュニティでの交流とかも影響はしていると思うけれど。形はどうあれ、こうやって人は自分というものを積み上げていくのかな。でも、手術はおろか改名やRLEすらままならない人間がこれから更に自分を積み上げていけるのかは、甚だ疑問です。隠し通すことを目的にしている間は、きっと暫く積み上がらない。十の位が変わってもこのままでは、年齢だけ高い子供のまま。その頃に治療のステージが動いていないとしても「ジェンダーセクシュアリティに関することは墓まで持って行く」という形で、自分の中に言い聞かせではない本心から落とし込めるようになれば良いなと思います。