ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

除睾哀史・残照編 #8 術後2年

不定期更新にしてから初の投稿。本当はもう少し間を空けるつもりでしたが、節目の日なので。

 

今日で睾丸摘出手術を受けてから丸2年が経ちました。心境としては術後1年の時とさほど変わりません。ただ、変わらないとは言っても、それは悪いことばかりでもなく。"本丸"がまだ残ってはいても、局部の容積が減っただけでも日々の不快感は(ゼロにはならないにせよ)感じにくくなるもの。その意味では、昨年自身が表現した「心の波が凪になった」というのは言い得て妙かと。「この身体にもだいぶ慣れてきたな」とまで言ってしまうと、流石にフィクションっぽさが過ぎますか。

術後の創部が再び痛むことも無ければ、副腎からの急激なテストステロン分泌が起こることも無く、幸いにもホルモン投与も定期的に受けられる状況が続いています。振り返って、名医に恵まれたことによって今の安定が得られていると痛感します。

 

相変わらず男性としての生活は続いており、周囲からもそうとしか見做されてはいないのだけれど、自分の身体を苛む不快感や恐怖感が薄れた状態で過ごせているのはやはり最大の変化なのかもしれません。当初の目的が(一部ながら)達成されているのだからそれもそうか。

しかし私が安定と思っている状況はいつまで続くかわかりません。懲戒解雇や実家強制送還をはじめとする外的要因によって容易に瓦解する気はしているので、なるべく自身でコントロールできる要素を増やしておきたいところです。安定が崩れたことがきっかけで"本丸"にも切り込めればより良いのだけれど。

区切りに寄せて

タイトルを「皆様へ」とかにすると露骨に悪い報せっぽくなるのでそうはしていませんが、まぁそんな感じの大きめなお知らせです。

 

本日加齢して、ある種節目とも言える35歳を迎えました。これに伴い、今まで5年と10日ほど続けてきた拙ブログの毎日更新を一旦終了し、不定期更新へと移行させていただきます。プライベートがこれまでに比べだいぶ忙しくなる見込みであることや、術後2年経ち医療に関わるルーティンがだいぶ軌道に乗ったことが理由です。

今後は気まぐれに記事を更新したり、一部記事をnoteに移管したりすることもあるかもしれません。noteは拙ブログと同一IDでやっており投稿数はかなり少なめですが、その分内容を厳選したものを書ければと思っております。

 

ブログをやってみて、日課というものをこのように実際に続けることが自分にもできるんだなと少しだけ自信になりました。筆を完全に置くわけではないにせよ毎日文章をしたためることは一旦しなくなります。だからと言って、無学ながらに思考を放棄することはしないよう努めつつ、30代後半からいつまで続くかもわからぬ先の人生を歩んで参る所存です。

世間様の中で、男にも女にも、革新にも保守にもなりきれず、実家との絶縁も復縁もできず。色んな「間(あいだ)」をさまよいながら、なるべくこれからも私は生きていきます。またいつか、皆様の言葉と私の言葉が出会う時までお元気で。

グッバイ、サー

いよいよ今日と明日で、年齢から来る呼ばれ方が変わります。アラ○○が、次のステージへ。

これは正直な話なんですけれど、こういう年齢になるまで生きる想像っていうのは成人してもなおできていなかったんですよ。先が見えない……というのは変わっていないけれど、例えば10年前と比べて視界は多少広がったとは感じています。あの頃は「世界が私に何をしてくるか」が全くわかっていなかった。今もそんなにわかってはいないにしても、ある程度の予測を立てつつ振る舞えるようになったつもり。

前は例えば「想定外の出来事に遭遇するとパニック」という関数が組まれていたとして、「想定内の出来事」が1つか酷い時は0なこともあった。それが今は2〜3くらいにはなってパニックの程度も100から75くらいには減ったから、年数というのは馬鹿にならないものだと思いますね。

 

兎にも角にも、前にアラが付き始めた頃と比べたら、私もちょっとだけ人間っぽくなれたのかもしれません。性別絡みで医療の力を借りたりオンラインオフライン問わず色々な人に出会ったりしたことは、人間化を後押ししてくれたと思います。勿論それだけではなく、趣味コミュニティでの交流とかも影響はしていると思うけれど。形はどうあれ、こうやって人は自分というものを積み上げていくのかな。でも、手術はおろか改名やRLEすらままならない人間がこれから更に自分を積み上げていけるのかは、甚だ疑問です。隠し通すことを目的にしている間は、きっと暫く積み上がらない。十の位が変わってもこのままでは、年齢だけ高い子供のまま。その頃に治療のステージが動いていないとしても「ジェンダーセクシュアリティに関することは墓まで持って行く」という形で、自分の中に言い聞かせではない本心から落とし込めるようになれば良いなと思います。

乗っても良いが

どうしたものか。

 

誕生日当日に、実父が会食をしないかと誘ってきました。時間は作ろうと思えば作れるのですが、本当に半々で揺れています。正月の両親の反応を見るに、かつての程の"常識"を振るっての小言や詰問の嵐にはならなさそう。しかし私も節目の年齢ということもあり、ここで両親に会うことで今後実家との関わりを決定的に断てなくなってしまうのではと恐れています。墓じまい、実家じまい、*1来たるであろう介護……。「長男の長男」という立場故にイエを背負わされることで、自由がきかなくなる未来が見えます。それは単に好き放題に過ごせなくなるとかそういう次元ではなく。イエが絡む分だけ、「息子」「男手」と言った風に今まで以上に「男」に引き戻されていくのではないか……と。そういう恐れがあります。今回の会食がそのトリガーになるのでは、という不安が拭えないのです。

 

原家族を見送るまでの過程において、程度の大小はあれど付きまとうことではあると思います。ただ、家庭において自身の在り方が否定されないかどうかで本人の負荷は大きく変わります。居心地の良い家庭であったなら許容できることでも、果たして逆ならどうか。あいも変わらず伴侶を諦めていない実父のことです、「せっかくの誕生日にどうしてこんな」と思うような日になるのは避けられないかもしれません。

とはいえ、何故かこの日の実家訪問検討は正月以降の私の頭の中にはあり、実家で回収したい荷物も幾らかあるので乗ってやらんことも無い。ただ、翌朝は休みを取っており早くから予定があるので(これは事実)、あまり長居はできないと予め言った上で受けて立とうかと思います。打ち砕かれたら骨くらいは拾ってくださいね。

*1:幸いにも歳の割には元気なのですが。

ノンバイナリの身体

ノンバイナリをオープンにされているとある漫画家さんのSNSでの投稿を見て思ったこと。手術をしたからノンバイナリの身体になるわけではなく、今の身体もまたノンバイナリの身体である……といった旨の内容が書かれてありました。そしてそれに反対するはよく見かける論客の面々。日常茶飯事にしてはいけないけれど、いつだってどこだって見られてしまう光景。

私はこの投稿を見てハッとさせられました。その人の*1身体の状態がどうあれノンバイナリとしてのジェンダーアイデンティティを持つなら、それは確かにノンバイナリの身体と言えるのではないか、と。出生時の性別として具わった身体機能への嫌悪が強い当事者として私は、「どう男性性を削ぐか」ということをずっと中心に考えてきました。しかし、「睾丸摘出をしたから」ノンバイナリの身体に「なった」のかと訊かれたら、それはちょっと意味合いが違ってくるとは思います。手術の前後で私のジェンダーアイデンティティがスイッチの如く切り替わったわけでもないし。人生の途中のどこかで性別に関わる医療の手が入るにせよ入らないにせよ、*2ノンバイナリとしてのその人は一貫して生きているわけで。それは外から侵されるべきものではないのでしょう。

 

しかしその一方で、「現実問題」としてはどうかという問題ものしかかるわけで。My body, my choiceと幾ら声高に叫ぼうとも、今の日本の「世間」の反応としては「○○を切除した■性」以上にはなり得ないとも思うのです。自分の中の折り合いとして医療の手を借りるのはそれこそ自分の中で完結されること。ただそのアイデンティティを他者に、「世間」にも*3押し通せるほどに、この社会が成熟してはいない……というのは誠に残念なことです。

大多数の認識としてはそうであろうし、私自身が本質主義・現実主義的でもあるためこのように述べたわけですが、社会の成熟が見込めない以上は今最も安全で居られるように考え振る舞うのがベターかとやっぱり私は思います。今生きている人間が全員入れ替わる程に時が経って、そこで日本が存続していたとしてようやく私達がそうあってほしいと希うような社会が訪れる……くらいではないでしょうか。

*1:「治療状況」とも言えるかもしれないけれど、広義の当事者全員が必ずしも直線的な「治療」の経路を辿るとは限らないので「身体の状態」としておきます。

*2:任意のジェンダーアイデンティティを代入可、と思います。

*3:敢えて「押し通す」という悪意よりの言葉を選びましたが、現代日本のマジョリティ的認識を表すにはこういう言葉になるかなと。

救急車を呼ぶなら

119した方が良いのか、直接病院に行った方が良いのか……と考えています。

昨日の検査を受けて、改めて健康の大切さを痛感した私。今日、とあるYouTuberさんが救急搬送されたという動画を観て、その思いを更に強めた次第。当人は無事だったので安堵したのですが、救急車を呼んでからの思考の進め方がとても冷静で、私も似たような状況になった時にここまでの判断ができるだろうか……とまたも心配になりました。非常時に自分の状態や経過を説明できる余裕を持てればと思いますけれど、せめて既往や現症くらいはカードなりにまとめた方が良いのかな。

 

それにしてもいざ急車を呼ぶとなった時を思うと、もし歩けるなら直接行くのはやっぱりまずいですかね。そこまで遠くない所に大きめの病院があるので。でも受入れ先を探さなきゃいけないだろうから、ダメなんでしょう。

有事にできることと言えば、結局その時の最善を尽くすことしかないのかもしれません。自分でコントロールできないことまでしたくなるのは悪い癖だ。

胃&大腸内視鏡検査

やり遂げましたよ私は。戦々恐々の内視鏡検査当日。早朝から2リットルの下剤をちびちびと飲み、検査までに排泄した回数は実に10回。飲み始めて30分ほどした所ですぐ肛門にOh coming!!して噴水開始。それからは5〜10分間隔でトイレと友達になり、動画を観たり家事をしたりしながらも落ち着かない2時間でした。

 

そして遂に肛門科へ到着。なんと、ホームページでは経鼻・経口両方の内視鏡の比較を挙げていながら経口しか実施していないことが同意書から発覚。経鼻はできないのか訊いてみたものの、そもそも備えていないのだとか。落胆と同時に恐怖が増幅されてしまいましたが、解像度が段違いと言われてしまえばまな板の上の鯉になるほかありません。

医師の態度は「不安に寄り添う」とはかけ離れたチャキチャキ、テキパキしたものでしたが、妙に確信を帯びた『辛く無いようしっかりやりますから』との言葉はまさにその通りのものでした。点滴を着けられて検査台に寝転び、まずは胃カメラですわ。マウスピースを取り付けられて看護師さんから『じゃあ眠くなる薬入れますねー』と言われ、いよいよかと思った次の記憶は、もうリカバリールームでした。胃が終わって次は大腸なのかなと思ったら、両方終わった後。ありがたくも眠ったまま全てが過ぎていたのです。薬の力に感謝。

 

その後、帰宅から昼食までの記憶は薬の作用であやふやなのですが、診察室で医師から『どっちも綺麗でしたよ』と言われて安堵した感覚だけは残っています。蓋を開けてみれば何もなかったわけですが、年齢も年齢なので今回受けることができて良かったです。「どんな検査か」も体感できたわけなので。この1ヶ月を通じて、消化器を労る生活を心がけねばと改めて思ったのでした。