ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

親密

昨日は大切な友人との1ヶ月振りのディナーでした。定例になりつつあるのでそうしていく所存。それはそれは色んな話に花を咲かせ、お店を出て駅でも多分1時間近く話し込む程でした。そんな中、手を繋ぎながらこう訊かれました。

 

「誰かと手って繋いだことある?」

 

小さい頃に原家族と以外には無いと答えました。思い出せないとかではなく、学齢期から今に至るまで、本当に他に無いのです。薄々気付いてはいましたが、誰かと距離を詰めて親密な関係になることを避けてきたことを思い知らされます。

 

小学校入学すぐに担任という大人に裏切られ、5年経ち決死の覚悟で学校に戻ったら級友から浴びせられる言葉の刃。「自分を出すとまたいじめられる」それが11歳の私が出した、今後の人生を乗り切る為の答えでした。12歳の頃だったでしょうか、「もう傷つきたくないから『感じない』ようにする」とはっきり意識したのは。時期こそ忘れましたが、明確にそう意識してそれ以降"スイッチ”が切り替わったような感覚があったことは鮮明に覚えています。小学校生活最終盤に入った私は、外界の刺激により生ずる感情の悉くをシャットアウトするようになりました。出てきた感情が私の中心に来る前に跳ね除ける感じ。それが次第に生じたそばから抑え込むようになり、遂にはめでたく「感じなく」なりました。

 

そのおかげもあり(?)、少なくとも表面上は学校という環境に適応し中学・高校生活をやり遂げることができましたが、その段階で経験しておくべき種々のやり取りや感情を経験できなかった気もします。だから、知人レベルの級友はそれなりの数いても、特別な友人と呼べる存在はいませんでした。卒業でコミュニティが変わる度にかつての級友達と疎遠になっていったのは、その表れと言えます。

級友として談笑はしても、自分の深い所には絶対に踏み込ませず相手のそれにも踏み込むことが無い。中学以降は級友を自宅に呼んだことが一度も無い。かくして、everybody’s friend、即ちnobody’s friendたる私が出来上がった訳です。

 

余談ですが、これに加えて原家族の教育方針(というか言外に滲み出る過剰な期待)もあり、中高時代に感じていた性別への違和感すらも「自分がちょっとおかしいだけだ、いつか消える。或いはこれを抱えたまま変な男として生きていくしか無いんだ」とシャットアウトしてしまったのは、今思うと”勿体ない”ことをした。中学時代には既にGIDという言葉も知っていたのに!

「感じない」人間になった弊害は学生時代を中心に色々ある訳ですが、それを書いていたら朝になりそうなので後日の記事に譲ります。

 

話が逸れました。そんなこんなでこれまで特別に誰かと親密になった経験が無かった(過去形)ので、今のところはアロマンティックアセクシュアルとしている自身の性的指向がデミロマンティック(少なくともセクシュアルではない)である可能性は、未だ否定はできないのです。

また、これは「感じなく」なる以前の出来事も多分に影響していると思うのですが、思春期までに一定以上の親愛を向けられたことが無いと、それ…というかポジティブな評価全般か…をそのまま受け取ることってとても難しくなるんですね。好意に戸惑い「私を好かれても/そう言ってくれても困る!」と咄嗟に思ってしまう。嬉しいのに。嬉しいのに。嬉しいのに。申し訳無くなります。私が好きなシンガーソングライター・石川智晶さんの「クラウディ」という曲の2番Aメロの歌詞がこんな私の心情に凄くヒットするので、興味のある人はお調べください。

クラウディ

クラウディ

 

…この辺もいい機会だし性別のことと並行して言語化していかないとですね。寧ろなんで前の業界にいた時にやれんかった。しかし書くとMPがすり減るので、気長にお待ち頂きたく。