ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

やれていた?

昨日の記事の続き。

julia88h.hatenablog.com

 

私が学齢期に男としてやれていた理由を考えると

  • 学校に関係すること以外を級友には徹底して隠していた
  • 当時、私が身を置いていた世界の範囲が狭過ぎた

の二つが挙げられそうだなという所まで迫って時間切れとなったのが昨日の記事。今日はもう少し自分の頭の中を掘り進めていこうかと。

 

まず一つ目。特に中学以降、自分のプライベートについてはひた隠しにしてきました。小1から学校に行かなくなり、復帰後も*1自分を出していたらいじめの標的になったりそこまでいかなくてもからかわれたりしたことで、私はまず"感じなくなること"を覚えました。自分のことを出したら「またいじめられる」。この恐怖心が学齢期の10年ほどずっと巣食っていました。なので、中学入学すぐの自己紹介シートには「趣味:なし」と書いたし、幸いにも吹奏楽部にのめり込めたので部活バカなキャラを通すことができました。更衣室で隣にいる級友が私も(こっそりと)やっているゲームの進捗を話していても、決して「俺もそれやっててさ」と割って入らない程度には自分を律していました。

要は、「またいじめられる」のを防ぎたいその一心でプライベートが全く掴めないキャラ作りに成功したという訳です。当然、自分が抱えている悩み…しかも性に関することなんて級友には話しませんよ。だって、そんなことしたらまたいじめられる」原因になるに決まっていますから。

 

二つ目も先のことに関わってきますが、こんな友人付き合いの仕方をしていれば当然深いやり取りなんてしません。表層的な所で止めていたので。でまぁ、まぁ当然の帰結として私が置かれた世界というのはとんでもなく狭くなりました。高校でも部活帰りに近くで食事…を除いて*2「一緒に帰る」なんてことは無し。その食事だって途中で実母に門限を設定されてからは遠慮するようになって、結局1年次で世話になった先輩が卒業したことを機に終わってしまいました。高校生にもなって、大半が家と学校の直行直帰での往復。いじめられたくなかったが故のツケとも言います。

実母も、私が家にすぐ帰って来て欲しかったのでしょうね。衣食住は甲斐甲斐しく面倒を見てくれて、遠出には良い顔をしなかったし、学校であったことは何でも根掘り葉掘り訊いてきてくれた。進路まで「部活ばかりで呑気な私の為に」「将来の為になりそうなことを」調べては提案してくれて、あまりにプッシュが強いもんだから私も本当の希望を言えない程でしたよ。実母が作ってきてくれた"鳥籠"に守られて、目の届く範囲で安全に学生生活を送れてさぞ安心だったでしょうよ。はい、これでいつも親の顔色を窺って自ら世界を広げようとしない「良い子」の出来上がり~~~ってね。

 

いくら世界に数多の情報が溢れていたって、それにアクセスする手段や自分に見えているもの以外に思い至る力が無ければなんの意味もありません。性の悩みを掘り下げたり、好悪に関わらず色々なコンテンツ(特に陽キャ向けの)に触れたり、男女共に級友と表層的でなく関わったり、学外の/或いは学内でも既に所属している以外のコミュニティを知ったりすることができていたら。もしかすると、私は男をやれていなかったかも知れません。

多感と言われる思春期・学齢期に色んなことを見て見ぬフリをしてき(てしまっ)たからこそ、男をやれていた面があると思われます。女子学生として過ごす青春を周りを見て羨みながら、何もせずにそこを通り過ぎてしまった自分を殴りたい。そうは思いますが、それは来世にならなきゃもう叶いません。取り戻す…ではないけれど、今からでも少しずつ取りこぼしてきたものを掬い上げて/拾い集めていく。加えて、これから自分をなるべく抑えずしかし年相応に生きていく。それが、青春を喪いながらもようやく自分の道が見えてきた"模範囚"がなすべきことのような気がします。模範的に振る舞っていたからこそ見えた看守の警備の穴。そこを突いて脱獄を目指す。

 

遅くなったけど、生き直し。しないとな。

*1:これは学級という世界での振る舞いを身につけられていなかったせいでもあるし、その責任は確かに自分にあります。

*2:だいたい650人くらい生徒がいる中で、私の通学経路が1桁人しか使わないものだったというのも一因。