ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

桃の節句

ですね。3月3日。一度も祝われることの無かった桃の節句

 

思い返せば、実家時代は桃と端午どちらの節句もそこまで盛大に祝っていなかったなぁという記憶があります。私が男一人っ子というのも影響しているでしょうが、幼少期に住んでいたマンションはそこまで広くなかったので、大きな物を置けなかったことも理由なのかも知れません。

とは言っても、原家族はこれまで拙ブログにて何度も言及の通り結構古い価値観の持ち主。その割には大きく祝うことをしなかったのは不思議に感じます。一応、シーズンのものということでほぼ毎年ちらし寿司が振る舞われはしましたがね。原家族、特に実母は中身はともかくこうした"カタチ"にはとてもこだわるタチでした。端午の節句の菖蒲湯然り男一人っ子ではあっても内裏と雛の簡素な雛人形は玄関に飾っていたし。吊るし雛造りがもう10年以上の趣味になっている実母、今日も創作に励んでいるのでしょうか。

 

当の私も、家として節句にあまり力が入っていなかったせいか「桃の節句を祝われたかった!」という気持ちは全く抱いていなかったり。逆に「端午の節句を祝わないでほしかった!」とも全く。どちらの節句にも自分として帰属意識を持ってはいませんでしたね。身体への嫌悪感は強くても社会的な面で女性には寄っていない、という私の自認はこんな所にも表れていたようで。性自認は「男ではない」です、一応確認。拗らせていたら毎年しんどかったんだろうなぁ、きっと。