ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

大学時代 性別にまつわる諸々編

追って書くと昨日の記事で言いながら、実は書き溜めていた本記事。書き出してみてわかるその多さ。

 

1.身体

一通りの第二次性徴が済み、違和感は恒常的なものに。しかし手を加える金銭・精神的余裕は無く、髭と体格を筆頭にあまりにも男性的な見た目のせいで身体の違和感を無くすのは不可能だと思ってしまっていた。進学を機に身体を他者に見られる機会は激減。部活の合宿だけが脅威だったが、早寝早起きと入浴時間をずらすことで対処。どうしても他者と居合わせてしまった場合も、可能な限り自分の身体を見せないよう努めた。

 

a.     髭:太く濃くなり、毎朝の処理は必須に。朝剃っても夕方には黒々としてしまう程。日々の手間よりも「男らしい」「ワイルド」と見なされることの方が嫌だった。『平井堅に似ている』と言われることも多かったが、全く喜べなかった。

b.     体格:がっちりした体格への嫌悪感を払拭したい、肥満であることでまたいじめられることを防ぎたいという気持ちから、緩やかにダイエットを開始。家での食事提供量は一貫して減らなかったので、主に間食の制限やウォーキング。学部卒業時には入学時から-10kgを達成。しかし実母は体格が細くなっていくことを良く思ってはいなかった。「よく食べぽっちゃりした」以外の姿でいることを認めていないと私は感じた。そうした姿が不登校期=私が退行し最も実母に甘えた態度を見せていた時期の姿であることと無関係ではないだろう。痩せても骨格までは変化しないので、「痩せた」とは思えず広い肩幅への嫌悪感はずっとついて回った。

c.      体毛:全身の剃毛を試みたこともあったが、剃っても剃っても生えてくるのがあまりに早いので次第に無駄だ・自分には無理だと思えて諦めてしまった。レーザー脱毛なるものがあるらしいということは一応知ったが、それができる金銭的余裕も無かった。

d.     性器:付いていることへの不快感は継続してあり、お風呂やトイレでもなるべく見ないよう努めた。タック時には多少緩和されるものの気休めでしかなく、根本的な解決にはならなかった。利用するトイレに関して、大学は幸いにも多目的トイレの設置が多く、場所は完全に記憶して主にそこを利用した。外出先でもよく行く場所は多目的のあるエリア・フロアを覚えておくようになった。

 

2.人間関係

 人の輪は環境の割に広がらず。恋バナ・猥談への明確な忌避を自覚。初めて当事者を目にする。

 

a.     友人:学科単位の必修は多かったが、積極的に輪に入り打ち解けることはできなかった。高校では適応の問題が起きなかったものの、自身の醜い外見と内気な性格、そして周囲に垢抜けた人ばかりであったことから、特別親しい関係は築けなかった。趣味や性格の合う同級生数名と授業の前後に話す程度で、授業以外に時間を作って出掛けたり集まったりすることは皆無であった。一方、管弦楽部においては同学年を中心に会話する機会も多く、自身も音楽という共通項故か学科と比べ各段に話しやすかった。練習以外の日(これ自体がそもそも珍しかった)に集まって出掛けることこそ年に2回あるか無いかというレベルであったが、練習後は頻繁に食事に行った。先輩や後輩とも気の置けない関係を築き、卒業から現在に至るまで楽団にて共演・交流がある。学外ではアルバイト・教会以外に所属コミュニティは無し。アルバイトは殆どが同年代のいない現場で、仕事中の最低限のやり取りのみに留まった。教会も大体は日曜の午後には部活があったので礼拝後は早々と退散することが多く、青年会なる会合に入ったはいいものの満足な参加はできなかった。

b.     恋愛:女性が多い学科内での「恋バナ」に共感できず、部活の男性で合宿の深夜に集まって行われる猥談(通称"野郎飲み”)は頑として参加を拒否し続けた。入部当初は内容も知らなかったが、その名前が持つ雰囲気からして参加する気にはなれなかった。また、恋愛し結婚しセックスし子を持ち父親になる…という(原家族から期待された”ちゃんとした”生き方の)イメージは成人してもどうしてもできず、「アプローチ」の方法もわからなければしようとも思わなかった。部内では私にあまりにも浮いた話が無いので、当時流行のネットコンテンツ(ゲイポルノ発祥のネタ)になぞらえてゲイ疑惑が持ち上がり弄られることも多かった。原家族の間でも私が浮いた話を一切しないことから、実父からも頻りに『積極的になれ』と言われるようになった。テレビで家族や恋愛の描写(原家族はこうした描写の多いドキュメンタリーやドラマが好きで食卓にはよく流れていた)がある度にそう言われうんざりした。「女一人好きになれない自分は欠陥品なのか」これが身体以外で初めて抱いた性に関する悩みであった。性自認性的指向について分析してみるも、女性ではなく男性を好きになる訳ではなかった。一緒にいて楽なのは女性の方。しかし抱く感情は「同じような身体になりたい」「入れ替わりたい」。自身が告白や交際なるものをして挿入の主体となる姿は学部4年間でもついぞイメージできなかった。「恋愛したいと結婚したいは別」「男女の友情は存在するか」といった命題も、何故周囲はそれらについて熱心に語り合えるのかと全くピンと来ず。当時の自己認識としては「性別・男性の身体への違和感を持ちつつも本物には及ばぬ半端者」「ゲイではないのに女一人好きになれない欠陥人間」。

c.      その他:2年次、同学部の1年生にMtF当事者らしき学生がいることを知る。初めて見る当事者だった。髪が長く声は高めでいわゆるオネエ口調。ユニセックスな服装でメイクをしておりいつも友人の女子学生と一緒にいた。英語の授業が2学年合同で、そこで一緒になった学生だが、教員が点呼時に男性名のファーストネームを呼んでおり、それが嫌なのか呼ばれるや否や急いで挙手していたのが印象に残っている。夏休み明けの後期には授業開始前にその学生が教員と何やら相談をしており、そこから女性名で呼ばれるようになっていた。風貌はより女性らしく変わっていた。いくら私が性別への違和感を持っていたと言っても、彼女と比較して自分が本物であるとはやはり思えなかった。

 

3.行動

 衣類はインナー中心に。その他は情報収集に留まるもの多数。

 

a.     タック:高校時代に覚えて以降継続して行っていた。スポーツ用テープの他、防水フィルムを使った方法も習得。予定の無い休日(これ自体先述の通り珍しかったが)は大体タックをして外出した。所詮は一時的な股潰しということで帰宅・解除後は落ち込むのが常ではあったが、脚を閉じた時や排泄時には何とも言えぬ安堵感を得られた。

b.     衣類:自身の見た目があまりに男性的なせいで女装をしたくても無理だと思い、全身レディースを着ることも買うこともできなかった。それでも身につけられるものは何かと考えた結果、行き着いたのがインナー。進学を機に実父から通販が許可され自身の銀行口座を持てたのをいいことに10着近く購入した。着用はタック時はじめ予定の無い休日や家に誰もいない時間帯。家で洗濯するわけにもいかず近隣にコインランドリーも無かったので、残念ながら数回着用ののち外で処分するのが常であった。

c.      情報収集:古本屋での女性向けファッション誌の購入が常。原家族は私に断り無く自室に入ってくる人だったので、見つからないように隠していた。洗濯物をしまう名目でタンスやクローゼットの奥まで平気で空けて手を入れてくるので、隠し場所はもう使わない中学・高校の通学鞄の中。雑誌を眺めては着てみたいと思うも、先述の理由で諦めていた。また、性的少数者に関する情報は「ゲイ疑惑」を受けた自己分析に留まり、学内サークルや学外のイベント・自助グループ等を調べるには至らなかった。典型的なそれに当てはまるという感覚を持てなかった=当てはまらない者は本物ではないと思っていたのも理由。

 

当時の私は「本物か否か」「白か黒か」に囚われ、曖昧な状態や苦痛のレベルがあっていいという考えに至らずいたと思う。授業ではそういった趣旨のことも取り上げられていたというのに。ともかくこんな訳で、私が何かしら「自認」の言葉を得るのは修士時代まで持ち越しとなった。