ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

そして誰もいなくなった

クリスティではなくて、またまた歳を感じた一つの出来事。

Facebookを眺めていた時のこと。いつも誰かしら知っている人が出てくるので「かも」ではない「知り合いかも」欄。まぁきっかけも無いのにいきなり申請されたら失礼だと思うからしないのだけれど。その欄に、よく知った名前の人がいました。

 

その方は、中学時代に私の学年を受け持っていた技術科教員。クラス担任ではありませんでしたが、授業のほか学内行事や地域行事に至るまで接点は多くありました。「優しく、時に厳しく」を体現されたような方で、私の在学中もなんだかんだ言われながら多くの生徒に慕われていたと記憶しています。

そんな先生のFacebookアカウント、トップには『○○年にもわたる東京生活を終え、2018年春から故郷××に戻りました』と。「あぁ、ついにこの日が来たか」と思いました。元々、散髪の度に帰省するほど郷土愛の強い方だったし、東京に骨を埋めることはしないとは予想していました。でも私は勝手に定年後かと思っていたので、約10年を残しての帰郷は想像以上に早かった。

私の出身中学での在任期間は1999年度〜2016年度までの18年間。公立校としては異例の長さ。それだけ求められていたのだろうと思います。しかしそこまで長い年月となると、自分も家庭も時代も変化が避けられなかったのでしょう。定年前の帰郷であることや故郷で再度教職に就くまで1年のブランクがあることからは、色々なことが想像されます。先生、我が母校での永くにわたるご勤務お疲れ様でした。

 

ついに出身中学から知っている教員が誰もいなくなってしまった。こうした事実を目にすると、やはり年月が経ったことを痛感します。中学入学からもうすぐ20年経ってしまうのですから。直接顔を合わせた中学時代のメンバーでも、直近は多分6〜7年前。SNSで動向を窺い知ることのできる人も数名いますが、果たして私は変われるのだろうか。