ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

笑いの理由

昨日は都内にて吹奏楽の勉強会でした。教材は参加者が作った楽譜とモデルバンド、講師はプロのアレンジャー。私はモデルバンドの一員として参加しており、十人十色の楽譜から生まれるサウンドを他のメンバー共々楽しんでいました。

 

会も終盤という時に、ちょっと私がもやっとした場面が。講師の方が楽譜へのコメントの中で最近の流行スタイルについて説明をされていました。その際に「俺は劇伴(ゲキバン)の世界で生きているから…」と仰ったのですが、それをとある一人のメンバーが拾って「え、ゲイバーの世界?」と茶化す一幕があったのです。そこで私の目と耳に入ったのは、数名のクスクスとした笑い。会の進行に関わるので流石に口出しはしませんでしたが、笑った人達におかれましては「何故自分は先程のやり取りで笑ったのか?」を考えて頂きたいと強く思ったものです。

(参考)劇伴 - Wikipedia

 

ここに集まったメンバーは私が10/15の記事で述べている、ありのままの私を出せる懐深き方々が主でした。しかし、全てではなく「主」。その中にはやはり「この手の話題」を茶化しや笑いの材料として使ってしまう方もいれば、自身は言わなくても笑ってしまう方もいます。インターネットを媒体に出会った方々ということもあり、皆さんネットコンテンツにも相当に親しんでいます。当然、ネット上に溢れる「淫夢」をはじめとした”ホモネタ”も頻繁に目にしている訳です。

当の発言の主は勿論、他の方々も素晴らしいプレイヤー揃い(何で私はご一緒できているのかと思うほど)ですが、それはそれ・これはこれ。付き合う上では要割り切り。そういう方々は自然と私から離れていくのかも知れませんが、せっかくのご縁を無にしたくなかったり意外にも私の見た目に対して(表では)あれこれ言わず変に寛容だったりするので、できることなら今後も永く音楽を一緒にやっていきたく思っています。

 

これを言ったら不快になる人はいないだろうか

この言い回しは本当に必要か

そういった想像力をお互い持って、皆に優しい世界で皆が遠慮せず居心地良く音楽をやれる…そんな環境を作れれば良いなと思います。

私だって、無神経で想像力の足りない発言をしてしまうことはあります。完璧じゃない。たまたま私が身を置く環境の中で、私はLGBTQに関する話題への感度が他よりやや強かったというだけの話。他の文脈だったらいつ私自身が糾弾される側になっているか。だから私の上からの一方的な命令というのではなく、お互いに気を付けて、もし不快に思ったら指摘して、言われた側もそれを認め謝れるようになっていきましょうという提案でした。

 

昨日は総合的には楽しかったのですよ。だからこそ、それはそれ・これはこれ。