ボールとポールを取ってホールを付けたい

男の身体のままで死にたくはない。

本当のサヨナラ

2019年3月31日。本日を以て、私が新卒の年に合格した資格が正式に期限を迎えました。と言っても、既にこの業界は去っているしCertificatesも返送しているので形式的なものですが。

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修士まで進んで得た、一応は専門職。結局は2年で適性の無さから逃げるように辞めてしまいました。よくこの業界で言われるのは「利用者の状態に自身が影響を受け過ぎて潰れてしまう」類の言説ですが、私の場合は単純に諸々の能力不足に起因して伸びしろ無しと自他共に判断し/された結果でした。発達障害関連に携わっていたこともあり、*1人にはどんなにやっても伸びが見込めない能力があるのは肌で感じていました。区切りなので、その辺を下記3点から振り返ってみましょうか。

 

1.想像力・計画立案

 面接の中で利用者が出す言外の情報だったり、本人にとってどんな状態に至るのが望ましいかだったり。その辺を察知することや思い至ることができず、場当たり的な対応に終始してしまっていたと思います*2。長期のビジョンが組めなくては、支援とは言えません。幸いにも利用者との関係形成自体はうまくいったことが多かったのですが(中断に至ったのは在学中の1ケースのみ)、支援のフェイズを移行させる為のアクションは上司・先輩に頼りきりでした。

 また我々含め、人間は得てして表出する言葉と思いがイコールとは限りません。しかし、言外の情報を読み取れないとそのズレに気付けぬまま事態が悪化する可能性がありますね。言葉で表された情報しか手掛かりがないと、利用者の状況を知る為の質問や反応の範囲も狭くならざるを得ません。「利用者の発言aに対する質問a'はできても、そこから想像・類推を及ばせて別アングルからの質問bや反応cはできない」って具合に。これができないと停滞しがちになってしまいます。

 この辺り、発達特性に起因している可能性も無きにしも非ず。ジェンクリで今後WAISを受けるとしても、それらしきエピソードは自分史に盛り込んでいないので確定診断には至らないと思いますが、傾向くらいはあるのでしょう。

 

2.勉強嫌い

 『修士まで出ておいて何が勉強嫌いじゃ』と突っ込みたい皆様、ごもっともです。ですが、当時の私にはそうするしかありませんでした。*3私が専門職として大成することへの原家族の並々ならぬ期待、日々団欒の席で実母から求められるコメンテーターないしカウンセラー的役割に応えねば(そうしないと機嫌を損ね、勉強不足ではと責められたものです)との思い、多額の費用を援助してもらっていることによる私側の負い目…そんなことが絡み合った状況にいました。上述の1については在学中から自身に足りないものとして認識しており、「卒業してもやっていけないのでは」「中退して別の道を探すべきでは」とうっすら思ってはいましたが、それを言うのは許されない空気。実家で居場所を確保するには、勉学に励む姿を見せるしか無かった訳です。

 そもそもいつから勉強嫌いになったかと振り返ると、恐らくは小1で不登校になった所まで遡れます。*4勉強をしなくても6年まで進級し卒業もできてしまった小学校。当時は当時で対処すべき問題が山積してはいたのですが、ここで図らずも怠惰の味を占めてしまった私。それからは"普通"に戻る為、自身の危機感の上に原家族の期待を背負い勉強をするようになりました。高校・大学共に偏差値で言うと60台後半の所に進学こそできましたが、心から勉強を楽しみ、何らかの分野で勉強を苦とも思わず学んだ経験はありません。哀しき哉。そんな状況で息をするように学ぶスーパーマンらが割拠する大学・大学院なんて行ってしまったものだから、落ちこぼれ学生として上には上がいる現実を痛い程に突き付けられた次第。

 そして今、勉強が生存戦略でしかなかったことや苦労して取得した専門資格で挫折を味わったことから、*5残念なことに何かを学ぼうという意欲が湧いてこないのです。「学んだり資格を得たりしたところで適性なんて無いはずだ」「上には上がいるからどうせ適わない」そう思うとどうにも踏み出せず、立ち止まっています。

 

3.生活者視点の欠如

 3と書きましたが、恐らく1と2の根底にある主要因。小学校は家とセラピー先しか世界が無く、中学は家→学校→部活→家のループ。高校は部活の比重が少し大きくなり塾

加わりましたがバイト禁止だったこともあり基本構造は変わらず。大学でも学科・部活・バイト以外の活動に特に携わらず、しかも学科では最低限の関わりしか持たず、住まいは実家。合宿や弔事を除き、外泊や午前様も無し。こんなんで、日々自活している人々が生活にかける労苦や周囲を取り巻く種々の公的制度など、どうやってわかりましょうか。

 早い話が、超が付く程の世間知らずでした。利用者一人ひとりの生活状況について「あぁ、こういう感じかな」と実感を持てない。それらが自分自身の肌身にしみ付いていない。そりゃぁ言葉以上の背景情報も察知できないし最終的なビジョンも描けないし、勉強内容を日々のことに置き換えて理解し落とし込むこともままなりませんわな。アンテナも受け皿も無い(或いは限りなく脆弱)んだもの。

 これらにより仕事でパフォーマンスを発揮できず挫折し、その不全感から2が強化されてしまったとも取れます。実家を離れ自活を始め、ACであることや性自認ういて悩み、前職で日本人・外国人問わず貧困家庭を目の当たりにし、*6前職から始めた日報と今のブログを通して頭の中を言語化し…事実これらを経たことで、以前よりは頭が回るようになった実感があります。靄が晴れたというか、アクセス制限が解除されたというか。それでも凡人の域ですが。

 

そんなわけで

 私が新卒で入った業界を去った理由、でした。仮に今の状態で学び直して復帰していたら、少なくとも以前よりは良いパフォーマンスができたように思いますが後の祭り。前職でお世話になった方にも昨日お会いした"先輩"にもこんな感じのこと言われたんだよねぇ…。スーパーマンらの中にブランク持ちが1匹入ったところで継続できるかは未知。たぶん指定の院で修士を修了しているので受験資格自体は生きているのですが、確か指導教員やらRAやらの署名が必要だったのでパスで。新設された国家資格の方は学部・院での指定科目受講で条件は満たしているはずだけど、これも大学に申請が必要なんだっけか。復帰は恐らくしないと思いますが、関心のある領域であることには変わり無いので、学び直すくらいならアリなのかも知れません。

 さて、明日から2019年度。資格と世間知らずの私にサヨナラをして、何者でもない私としての新たな一歩が始まる…そんな心づもりでいきますか。

*1:ポケモン種族値努力値でたとえるとわかるかな。ピカチュウにB252振った所で打たれ弱い、みたいな。

*2:前職の上層部にビジョンが無かったことを批判できませんね…。

*3:一応、私の出身校には珍しく業界に学閥ができていました。事業所によっては職員が全員うちの出身ということもザラにあるようで。

*4:なので小学校については「形式卒業者」ってやつです。これ、実は結構なコンプレックスになっているんですよ。

*5:例外はジェンダーの基礎知識くらい。これこそ今の生存に必要なものなので、迫られて。

*6:毎日の仕事内容を時系列で記録し、最後に所感を書き記す形式。元上司からの指示で始めたが、元上司の異動後から現職に至るまで欠かさず継続しており、通算すればそろそろ1000に到達するのでは?